モリッシー、再びサッチャー元首相の死をめぐる英国の報道について寄稿
2013.04.17 20:00
本日4月17日にマーガレット・サッチャー元首相の葬儀を控え、モリッシーはサッチャーのイメージがこれまでの報道によって巧妙に操作されていることを激しく批判し、ファンサイトの「トゥルー・トゥ・ユー」に4月15日付けで再び寄稿している。
「サッチャーは死んでしまったのだから、さすがにこの報道のていたらくの責任は問えないのだろうが」とモリッシーは皮肉りながら、「報道がこれほど偏って耐えがたい悪意に満ち満ちてしまったからには、もはやイギリスの歴史書に記録されてきたことなどなにひとつ信用できない」とサッチャーへの礼賛ばかりが取り上げられている報道の在り方に疑問を投げかけている。
「サッチャーの死をめぐるイギリスのメディアでの扱いは、ほとんど検閲と呼んでいい度合でサッチャーの聖人化ばかりに力を入れたもので、突然この現代のイギリスの体制というのは、真実から目を背けているばかりか、サッチャーを好ましく思わない人間にとっては筆舌に尽くしがたい嫌悪感をもたらす、迷妄に満ちた未開文化の集団に過ぎないということに気づかされてしまいます。サッチャーにそれほどの価値が実際にあったのかどうかと問うことさえ、『アナキスト的態度』だと糾弾され、しかも議論を端から拒絶するこの狂気はまさにBBCが、イギリスの街頭の現実をきちんと伝えず、自分たちにとって都合のいい未来の見取り図ばかりを伝えることによって先導されているものなのです」
そうやって黙殺されている「サッチャーリズムをなんとか生き延びて、サッチャーを『生き地獄』として記憶している者にとって」、サッチャーの葬儀が豪奢に行われることはそれ自体が傷に塩をもみ込まれるようなものだとモリッシーは主張し、その葬儀を穏便に済ませるために首都の警察が新法を通過させたところなどはまるで中近東の独裁国家となにも変わりはしないと指摘している。そして「サッチャーの葬儀に警察が大挙して警備に当たらなければならないということは、サッチャーという言葉が災いと同義語であることを証明しているのであって、その災いとはほかならないサッチャー自身がもたらしたものでもある」とモリッシーは訴えている。
さらにサッチャーの死をきっかけに1939年の映画『オズの魔法使い』で使われた挿入歌、"鐘を鳴らせ! 悪い魔女は死んだ"のダウンロード・キャンペーンが行われたが、これについてモリッシーはBBCが"鐘を鳴らせ! 悪い魔女は死んだ"は「1位になることに失敗した」と「嬉々として」伝えていたことに触れ、このわずかなニュースを伝えるのに「失敗した」というフレーズをBBCが実に4度も繰り返し読み上げたことを指摘し、さらに実際にはチャート2位であったという事実にはまったく触れなかったことから、「イギリス国民が"鐘を鳴らせ! 悪い魔女は死んだ"を2位にまでダウンロードで押し上げたことに成功した」という事実は報道されることはこれからもないのだろうし、「今週、イギリスでは本当の意味での知識というものが求められることはないだろう」と断じている。
また、モリッシーはBBCがロシア政府のプッシー・ライオットの事実上の弾圧を即座に批判的に報道したのに対して、"鐘を鳴らせ! 悪い魔女は死んだ"のチャート2位という事実さえきちんと報道できないのはどういうことなのかという疑問を投げかけたうえで、先頃トラファルガー広場で行われたサッチャーへの批判デモもろくに伝えられていないことについて次のように言及している。
「トラファルガー広場で女男爵(サッチャー)への批判を表明したかどで9名の市民が逮捕されたその日、BBCニュースがオープニングで伝えたのは、リアリティ番組『アイム・ア・セレブリティ』にも出演したできそこないのタレントのキャロル・サッチャー(※サッチャーの娘でジャーナリスト・タレント。双子の兄弟のマークがいる)と、敵性国家への武器密輸が発覚するという不祥事以来公から姿を消していたマーク・サッチャー卿(この人物が卿とは!)の二人の姿でした(摩訶不思議なことにこのマーク卿なる人物は15年の刑期を逃れ、母親の資金的援助を受けて保釈されています。マーク卿は愛国的にも6400万ポンドもの資金を持ち出してスイスとモナコで入国拒否に遭った後、ジブラルタルへと逃れることになり、この頃にはこの母親が道徳的な良心などまるで持ち合わせていないことが明らかになったわけです。それにしても、どういう母親として接したらこんな息子が育つものなのでしょうか)。でも、そんなマークとキャロルが母親の死を嘆くとBBCはそれを大きく取り上げてみせ、誠実な市民がサッチャーの生き様について嘆いてみせると、まるで気づこうともしないという有様なのです」
最後にモリッシーは一連のサッチャー報道について次のように締め括っている。
「こうしたことすべてからぼくたちにわかるのは、2013年4月のこの週において、イギリスにおける現代メディア報道とは、ご法度と偏見にまみれた五里霧中の世界であって、そこではサッチャーがもたらした対立と分裂は繰り返されながらも、サッチャー自身のおぞましさは隠蔽されているのです。その死においても、サッチャーは『内なる敵』であり続けているのです」