キース・リチャーズ、ブライアン・ジョーンズが死亡した日にナイフを抜いたと報道される

キース・リチャーズ、ブライアン・ジョーンズが死亡した日にナイフを抜いたと報道される

ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズはブライアン・ジョーンズの死の数時間前にかなりヒートアップした口論を戦わせていたと報道されている。

ブライアンは1969年7月3日に自宅のプールで溺死したところを発見されているが、この日、キースはブライアンに対してナイフを抜いたという証言を記録した警察の文書を『ザ・デイリー・メール』紙と『メール・オン・サンデイ』紙が目撃したと伝えている。

証言はかつてブライアンの邸宅の改装を請け負っていた建築業者で家の番人も務めていたフランク・ソログッドの娘ジャン・ベルのもので、『ブライアン・ジョーンズ死亡事件の報告書要旨』という警察文書の中で次のような記述があるという。「女(ベル)は父親から数年前に聞いた話として、ブライアンが死亡した日の朝にミック・ジャガーとキース・リチャーズ両氏がブライアン・ジョーンズの地所を訪問したところ、父親がその場に居合わせていて、金銭的な合意の上で『ザ・ローリング・ストーンズ』という名称を放棄するつもりはないのかと両氏から切り出されたという出来事を説明している」。

「ブライアンはそれを拒否し、そこでキースはナイフを抜いたとされている。双方をソログッドがなだめ、その後ジャガーとリチャーズはブライアン宅を後にしたという」

ソログッドは1993年に他界し、その直後にソログッドがブライアンを殺したのではないかという説が浮上している。『ザ・メール・オン・サンデイ』紙は当時警察では根拠のない指摘の数々を却下していたというが、そうした言説の多くがその後のブライアン・ジョーンズ他殺説をまことしやかなものに仕立てることになったと伝えている。ブライアンが実際に酒と薬物の影響下で自宅のプールで溺死したのか、あるいはより疑惑の残る状況で命を落としたのかどうかはその後も謎のままとなっているとギグワイズは伝えている。

『ザ・メール・オン・サンデイ』紙はジャン・ベルの調書を取った捜査官を割り出していて、その捜査官は匿名という条件で次のように語ったという。

「わたしはミック・ジャガーとキース・リチャーズの代理人と会う約束も取りつけていたんですよ。二つの法律事務所に分かれていて、一つはニューヨーク、もう一つはロスアンジェルスにあるんですけど、その時は特にジャン・ベルがサセックス警察に話した証言について確認を取りたかったんですね。本当にブライアンの死の日に二人は家を訪れていて、キースはナイフを抜いたのかと。それが警視正からの横やりが入って、代理人たちと会えなくなってしまったんですよ。警視正がこの事件はもう不問にしたんですね。事件当時はジャン・ベルの調書を報告書にまとめろと言われただけなんですけどね」
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