伊東歌詞太郎は絶対にライブも観るべき

伊東歌詞太郎は絶対にライブも観るべき
EX THEATER ROPPONGIで観た伊東歌詞太郎のワンマンライブに衝撃を受けた。

今さら言うまでもないことだが、ボカロ音楽において楽曲の作り手であるボカロPは「まず最初に自分もしくは誰かが歌う」という肉体的なフィルターを飛び越えることで、自分の感覚や思いが持つ普遍性を純度100%で伝えることができる。
つまりボカロPたちが「歌」を「誰かの歌」ではなく「ただの歌」のまま聴き手に届けて「聴き手それぞれの歌」にできることによって、既存のポップスとはまた違う普遍的な素晴らしさを持つ楽曲がどんどん生まれていると言える。
そして、そんなボカロ楽曲を生身の歌い手が「歌ってみる」ことの意味とは何か?
それは歌い手の力によって、その楽曲の持つピュアな普遍性がさらに増幅することがあるということだ。
そのボカロ曲の歌い手の力とは、僕が思うに(1)良い声を持ち、(2)歌唱力があり、そして(3)その歌を「歌い手」個人の歌に限定してしまわない、ということである。
(1)と(2)は、とてもシンプルでわかりやすい。
問題は(3)だ。
果たして、それはシンガーとして「個性が無い」ことが重要ということなのか?
伊東歌詞太郎のライブを観て、そうではないということがはっきりとわかった。

ニコニコ動画の「歌ってみた」カテゴリーの人気歌い手として頭角を表した彼は今、ボカロ曲のカバーとオリジナル曲を織りまぜたセットリストでライブを行っている。
彼が、極めて良い声の持ち主であり、そして圧倒的に歌唱力があるということは、もちろんライブでも改めて感じられる。
しかし、そのライブで最も印象的なのは、伊東歌詞太郎という人が、自分の命を「歌」で人と繋がるということで燃やし尽くそうとしているということである。
その姿勢を「歌う生き物」として貫いているがゆえに、彼は歌を自分個人の歌に限定してしまわない。
ボカロPの作った楽曲も、自分自身が作った楽曲も、ライブで表現することで、より「聴き手それぞれの歌」にして、心にダイレクトにねじ込んでくる。
熱く、正直で、無限のエネルギーに溢れた個性的な人柄によって、ピュアな楽曲たちの普遍性をさらに増幅させてしまうのだ。

伊東歌詞太郎は、全く新しいタイプの素晴らしい「歌」の表現者である。(古河)
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