10-FEETの歌詞

10-FEETの歌詞

昨日、ZEPP TOKYOで10-FEETを観ていて、思ったこと。
というか、前から思ってたんだけど、そういえば
ちゃんと書いたことないわ、と、観ていて気づいたのでした。

このバンドの「英語と日本語の混ぜ方」についてです。
これ、35歳以上のオールド・ロック・ファンにしか
ぴんとこない話かもしれませんが。

昔、どれくらい昔かというと、ゴダイゴとか、初期サザンオールスターズとか、
世良正則&ツイストとか、つまり「バンド」というものが普通に
テレビで観られるようになった頃くらいです。
1970年代後半のあたりですね。

その頃から出てきて、たぶんバンドブームくらいまで、だから1990年すぎ
くらいまで続いた手法で、「歌詞、サビだけ英語」というのがあった。
ゴダイゴの「ガンダーラ」のサビとか。
サザン「いとしのエリー」の「素敵にOn My Mind」とか。
そのへんの時代から、BOOWYとか、ZIGGYあたりまで、
そういう「サビは英語」という手法、頻繁に使われていたと思う。
って、今も、まったくなくなったわけではないですが。

あれ、子供の頃から不思議に思ってたんだけど、10代後半くらいになると、
渋谷陽一とかの評論家が「サビだけ英語になるのはおかしい」と書いているのを
読んだりもして、日本のロックを語る際に、「それってどうなのよ」という、
論議の対象になるテーマであることを、知った。

で、いっぱい日本のロックを聴くうちに、あと自分でもバンドを
やったりするうちに、なんでサビだけ英語にするのか、わかってきた。
理由はふたつ。

1.日本語をロック系のメロディにのっけるのって難しいから。
キャッチーで耳なじみがよくて、メロディを殺さない言葉、で、
日本語、っていうのは、とても難しい。
英語だとその苦労をしなくてすむし、なんかかっこいい。

2.日本語だと意味が強すぎるから。
サビが日本語だと、その言葉の持つ意味が、
ダイレクトに聴き手の耳に飛び込んでしまう。
そうすると恥ずかしいし、音やメロディに言葉の意味が勝ってしまう。
だから、そのへんをぼかすために、サビは英語にする。

で、RCサクセションという先駆者が活躍したり、
ザ・ブルーハーツという超強力な革命者が現れたり、
メロコアや渋谷系などによって「サビだけじゃなくて全部英語」という
スタイルが一般的になったりしたことによって、
1990年代前半くらいから、そういう「サビだけ英語」スタイル、
だんだん下火になっていったと思う。

で。10-FEETを初めて聴いた時にびっくりしたのは、
その「2.」の、完全に逆を行っていたことだ。
AメロもBメロも英語、でもサビだけ日本語だったりするのだ。
なんで。本人にきいたわけじゃないが、理由ははっきりしていると思う。
ダイレクトに伝えたいからだ。
その曲で一番聴き手に届けたいところがサビだから、
日本語にするのだ。
ほかのところは音や響きを優先して英語にするけど、
それサビでもやっちゃうと、何を伝えたい曲かがぼけてしまうから、そこだけは日本語なのだ。

そうすると恥ずかしい? そんなのは知らない。
そもそも、歌を作って人前に立って歌うということ自体が、
恥ずかしい行為なんだから。


という意味で、「新しいなあ」と思ったのでした。
10-FEETには、それ以外にも、逆にサビだけ英語だったり、
全部英語だったり、全部日本語だったりする曲もある。
ただ、たとえば静かめな曲調だったりして、言葉が直接的に届いて
しまいそうな曲であればあるほど、日本語の比率が上がっている気がする。
その感じって、TAKUMAの、
「クサくても恥ずかしくてもクドくてもちゃんと言う、なぜならちゃんと伝えたいから」

みたいな、あのMCのスタイルと同じだと思う。

写真は2009年9月9日にリリースされた最新アルバム『Life is sweet』。
そうか。次は、2010年10月10日に出るのか。10-FEETだし。
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