JAPANは、奇跡のツアー、と銘打って、いち早く表紙を作らせてもらったが、ツアーのスタートから約2ヶ月が経った「INSOMNIA TRAIN」はいよいよ前人未到のゾーン、前人未到のクオリティに到達しつつある。
規模で言うなら、端的にとんでもないものだ。
ステージのワイドは優に50メートルを超えていると思うが、横だけでなく縦にもフルに使ったセットのインパクトは相変わらず凄まじい。
ひと目観て「ああ、来てよかった」「ああ、セカオワのツアーはこれだよな」と思わせてくれる説得力はこれまでのどのツアーをも凌ぐものだと僕は思う。
そして、この奇跡のようなツアーを、セカオワのホームとも言える富士急で観て、あらためて冒頭に書いたことを思った。
発想自体、持つことが難しい種類のエンターテインメントだと思う。
しかし、このツアーにあるエンターテインメントとしての強さ、正しさ、そしてトータルの世界観における「音楽」の愛され方はもっと誰にも真似できない、すごいものだと感じる。
セカオワのツアーにおいては、過去曲であるはずの曲がまるで今書き下ろされたような瑞々しい説得力を持って再生されることがよくある。
その幸福な現象(としか言いようがない)はこのツアーにおいて最高の回数で、最高のドラマをもって、これでもかと巻き起こされていく。
それは要するに、セカオワは過去のどの曲を書いた時も驚くほどに、「あらかじめ」このツアーの胞子を持っていた、ということなのだと思う。
彼らは「INSOMNIA TRAIN」のアイディアをずっと温めていた、ということではない。
セカオワはずっとセカオワとして、いつでも「INSOMNIA TRAIN」という前人未到のアイディアを生み、形にするための土壌を持ち続けてきた、ということなのだ。
だから、何年も前に生まれた楽曲の多くが、「INSOMNIA TRAIN」という最新のツアーにおいて、「最新」の生命力を持って再生される、という現象が起こる。
言い方が正しいかどうかわからないが、曲もアイディアもツアーもすべて、生まれてくる場所はいつも圧倒的にひとつである、ということなのだと思う。
SEKAI NO OWARIはとても本質的なアーティストだ。
このツアーはセカオワがなぜ誰も観たことのないエンターテインメントのために戦い続けられるのか、そしてその戦いはどれだけ素晴らしい興奮と、忘れがたい経験を僕たちにさせてくれるためのものなのか。
「INSOMNIA TRAIN」はそんな大きなテーマを教えてくれる、かけがえのないツアーだと思う。
最後の最後まで、しっかりと見届けたいとあらためて感じる。
SEKAI NO OWARIの「INSOMNIA TRAIN」、聖地・富士急ハイランドでのライブを観て
2018.06.04 19:13