誰もジョン・ライドンを回収できない
2010.05.01 23:45
ロック・ミュージックは時代を造る音楽である。その前提に立つと、それはまず、衝撃として現れる。そして、大衆に回収される、そのダイナミックな力学に、ロックはあると言えるだろう。だから、ロック・ミュージックは常に斬新でありながら、大衆的なものへと移行し、回収されることから逃れられない。それは、乱暴に言ってしまえば、カラオケで歌われるようになって初めてその存在目的を全うできたということである。
そんなロック・ミュージックのひとつの極点にありながら、その誕生から30年以上を経た今なお一向に回収されないのが、ジョン・ライドンである。それは、今なお大衆の外にあり、というか、ロックそのものの外部に立ち続け、ロックの優れた批評装置として無比の光を放っている。
とりわけ、セックス・ピストルズを抜けた後にジョン・ライドンが構築したパブリック・イメージ・リミテッドの思想性は、完璧である。その音は、当時そうであったであろう異様さを2010年の今もまったく損なうことなく、やはり外部にあるものとしてヒリヒリと鳴っている。再結成ツアーをドキュメントしたこの『alife 2009』の音のピュアさはなんなんだ。ノスタルジアなどどこにも見当たらない。それはもう、正しさとしか言いようがない。
ピストルズはシンガロングされることはあっても、誰もPILの「アルバトロス」は歌わないだろう。というか、歌えない。凄い。
セックス・ピストルズは、パンクを創造した。パブリック・イメージ・リミテッドは、ダブであり、トライバルであり、音響であり、ハイファイ・ディスコであり、つまりは、今、存在意義を持つアンダーグラウンドのすべてのエレメンツを準備した。ジョン・ライドンは、パンクからそこまでの、つまりは「インディー」と呼ばれるもののすべてを造ったのである。しかも、それをメディア・ヒステリーを巻き起こしながら、たった数年で実現してしまっていたのだ。そのように、その後のロック・ミュージックを決定づける作業をほとんど世界に同時中継しながらやってのけたのは、あとはビートルズくらいしか思いつかない。