2010年上半期私的ベスト・アルバム 第3位
2010.07.30 10:30
Gorillazの『Plastic Beach』を選出。
90年代ブリット・ポップを駆け抜けた主人公たちの中で、いまもっとも誰が自由だろうか。それはデーモン・アルバーンをおいて他にあるまい。時代を背負ったバンド=ブラーは、昨年のリユニオンを経ることでようやく解放された。そして、目の前には何をやってもいい装置としてのGorillazがある。それは、まだ新しいスタートを切れていないオアシスのふたりは言うに及ばず、トム・ヨークの得た(得ようとしている?)「レディオヘッド/Atoms For Peace」の相関図の一歩先を歩んでいると言える。
それではなぜデーモン・アルバーンにそれが可能だったか。それは、このアーティストの表現が、基本的にオーソドックスな物語性に根ざしていることと無関係ではないと思う。もっと言うと、常にその時代の物語と、自身の物語を重ね合わせることのできる能力というか。ブラーが極度に親ブリティッシュであったのは、それは常にアメリカを意識していたからだ。つまり、アメリカ=時代を意識していた。そして、その表現は、つねに時代に翻弄され(メランコリア)、その中でサバイバルを見出す(インテリジェンス)個人=デーモンという構図をとりながらわたしたちに提出されてきたのだ。
Gorillazというバンド(?)の特異な構造も、そのような視点から見れば実にあっけない。あっけないのだけど、それが切実であるという点において、Gorillazは支持されてきた。そして、この『Plastic Beach』では、デーモン・アルバーンのキャリアにおいてもとりわけ物語としての完成度の高い世界を提出してきた。めまぐるしく変わるサウンド・スタイル、多彩なゲスト・ミュージシャン、そして紡ぎだされる世界の断片。それはどこまでも深読みを許し、ということはつまり、どこまでもこの現代に疲弊したわたしたちを包み込んでくれる。