Fear, and Loathing in Las Vegas『PHASE 2』:肉体をもったラスベガス
2014.08.06 17:48
Fear, and Loathing in Las Vegasを初めて聴いたときの鮮烈さは、今でもよく憶えている。とにかく音楽として斬新だった。異常なまでの情報量、ラウドだけど踊れる、そしてエレクトロニックだけど触るとやけどするくらい熱くてエモい。というだけならまだしも、それが驚くぐらいポップに響いてくる。発明だったからこそ、ラスベガスはここまでの熱狂を生んだのだ。これは発明だと思った。
この3rdフルアルバム『PHASE 2』は、文字通りラスベガスのニュー・フェイズを示すものだ。そのニュー・フェイズとは何か。画期的な発明、圧倒的な新しさとしてのラスベガスが、そのスタイルを進化させて、血の通う肉体をもった「生き物」になっていく、そんな驚異的な進化のフェイズである。メンバーチェンジを経て、音はよりグルーヴィーに、骨太になった。ハードな曲も、メロディアスな曲も、速い曲も遅い曲も、どれもがはっきりと表情をもっている。宇宙規模のスケールの中で、生身の6人が汗をまき散らしながら躍動している、そんなイメージが明らかに浮かんでくる。
もっとも、ラスベガスは最初からそういうバンドだった。発明というのは発明された瞬間から消費されていく運命にある。あっという間にラスベガスのフォロワーと呼ぶべきバンドがいくつも現れて、「ピコリーモ」などといった呼び名のもとに注目を集めていった。しかし、そうやってスタイル的に似た音楽がシーンに増えていっても、ラスベガスの圧倒的な存在感とオリジナリティは揺るがなかった。なぜか。彼らにとってこのスタイルは、方法論や手段ではなく、素朴な表現衝動と直結したものだったからだ。過剰な音のコンストラクション、ヘヴィなグルーヴ、フィルターを通したハイトーン・ヴォーカル、爆発のようなスクリーム、全部が彼らの感情と直結していた。それはライヴを観ればわかる。
そんなラスベガスの本来の姿が、このアルバムにははっきりと刻まれている。登場してきたときのラスベガスには、見たこともない宇宙船が空から降りてきたような印象を受けたが、このアルバムで、彼らはそのハイパーな宇宙船の中に僕たちを誘い込む。そこには生身の6人がいて、彼らは僕たちのすぐ近くで音を鳴らしている。前作『All That We Have Now』から較べてもずっと輪郭のはっきりした本作を聴いて浮かぶのはそんな光景だ。やはり、このバンドは別格である。