「昔のイメージも踏まえつつワンステップ上がっていくってなった時に、自他ともにプロフェッショナルって認められていくことが大事なんじゃないかなと思ってて。やっぱりロックシーン自体が、ものすごく発達してるけど、カルチャーとして特異なものではあると思うし。そういうところに根差していくっていうことが去年までやってきたことで、そこからもう1枚殻を破っていきたい」
前作シングル『ヨアケマエ』についてインタビューしたときのパスピエ・成田ハネダの発言だ。2015年、つまりアルバム『娑婆ラバ』と初の武道館ワンマンという「節目」を経て、次のフェーズに向かう思いを彼はこういう言葉で表現していた。
文字通り「夜明け前」の景色を描いた“ヨアケマエ”を経て届いたパスピエのニューシングル『永すぎた春/ハイパーリアリスト』。このシングル、とりわけ”永すぎた春”はパスピエのニューフェーズの幕開けを高らかに告げている。
オリエンタルな色合いはパスピエらしい個性だが、この曲を聴いていて圧倒的に耳に残っていくのは、力強く進む肉体的なリズムと、そのリズムと呼吸を合わせるように弾み躍る大胡田なつきの歌だ。「等身大の自分なんてどこにもいなかった」と過去を振り返り、「永すぎた春」の先へと向かおうとする歌詞に宿る意思。そこにはイメージの世界で遊び、ときに音からも自由になりながら自分の世界観を飛び回るこれまでの大胡田の歌詞とは違うタフさがある。
パスピエは『娑婆ラバ』でバンドとしての肉体を手に入れた。そしてその先へ、より強靭な肉体とともに進む。”永すぎた春”が指し示すのはそんな未来だ、と思う。実際、この曲を初めてライブで聴いたときの確かな手応えは、今も身体に染み付いている。
ちなみに、7月30日発売のJAPANではインタビューも掲載されるので、そちらもチェックを。
いよいよ発売、パスピエ“永すぎた春“のリズムと歌が示すもの
2016.07.26 23:52