SAKANAMON『INSUROCK』について

SAKANAMON『INSUROCK』について

2月5日リリース、SAKANAMONのセカンドアルバム『INSUROCK』。
明日発売のJAPANに藤森元生のインタヴューが載ります。
(取材の様子はこちら→http://ro69.jp/blog/ogawa/95281
このアルバム、聴けば聴くほど奥深いしバンドの未来を背負っているし大切な作品だと思うのだが、なんでそう思うのか、ちょっと書いてみようと思います。


まず、これは間違いなく今後のSAKANAMONにとって重要なメルクマールとなるアルバムなのだが、なんでそうなったかというと、ちょっと語弊があるけど、このアルバムを作る過程でソングライターの藤森はバンドやリスナーのことをあんまり考えていないからだ。自分のやりたいことや言いたいことをバンドに落とし込むという過程で、今作の藤森はどこまでもワガママに、自由に、本能的に、私的に、ふるまっている。

もちろん結果的にSAKANAMON的代名詞サウンドになっている曲もたくさんあるし、シングル曲もあるし、本人も「アンセム」を目指したという“TOWER”もある。が、アルバム全体から漂ってくるのは、藤森元生というひとりの男の人格であり、思想であり、想像力だ。たとえば、このアルバムは彼の学生時代をモチーフとしたとおぼしき“マドギワールド”から始まり、彼の住んでいた部屋をテーマにした“102”で終わる。前者で歌われるのは表現の世界の入り口であり、後者で歌われるのは次への出発だ。これ、たぶん本人は狙ってなどいないだろうけど、このアルバムは図らずも藤森が音楽を始めて今にいたるまでのドキュメントになっているのだ。

いままでもSAKANAMONの曲は基本的に藤森というちょっと変わったキャラのソングライターの頭の中を無秩序なまま取り出したようなひねくれたポップソングばかりだったじゃないか、と思われるかもしれない。そうなのだが、それとは違う。ひねくれているのは頭のなかで生まれたイメージをこねくり回すからで、それはコミュニケーションを拒絶するという意味でのコミュニケーションの方法論だった。今回のアルバム、歌詞は(もちろんやけに難しい言葉とか突拍子もない比喩とかはあるけれど)格段に伝わりやすい言葉になっている。ひねくれさせる必要がないというか、こねくり回す意味がなかったからだ。だってどう届けるか、というところはアルバムをつくる上でメインの目的ではなかったわけだから、たぶん。

だからテーマは根深くなりながら、同時に言葉やメロディはより端的に開けたものになっている。それって簡単に言っちゃうとロックの理想型だろう。その理想型に、あくまでも天然の知性によってリーチしてしまっているSAKANAMONの本当のおもしろさはここから始まるような気がする。
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