米津玄師の、魂の現在地について書きました

米津玄師の、魂の現在地について書きました
 もともと米津玄師は自己完結した世界の住人だった。
なにしろ最初のアルバムのタイトルは『diorama』で、日本語に訳すと「背景画の前に人物や動物などの立体模型を置き、照明を当てて現実の光景のようにみせかける装置、見せ物」である。
内容もそのタイトル通り、自分の頭の中にある世界の住人や光景をファンタジーとして描いた曲が並び、現実とは完全に切り離された「もう一つの世界」をアルバムに封じ込めたような、まさに『diorama』そのもののような作品だった。
 
 
その次の2ndアルバムは『YANKEE』というタイトルだった。
日本語に訳すと「移民」で、それはボカロ出身で閉じた世界観を描いてきた自分が、ポップ・シーンへと移り、より開かれた世界へと向かおうとしていることを意味していた。
逆に言えば、まだポップになりきれない、閉じた世界から完全に出てこれなくて宙ぶらりんになっている自分を正直に刻んだタイトルでもあった。
 
 
次の3rdアルバム、つまり前作のタイトルは『Bremen』だ。
このアルバムタイトルの元になったイメージは「打ち捨てられた高速道路をいろんな生き物が歩いていく」というもので、その生き物の群れがブレーメンの音楽隊のイメージへと繋がっていった。
 この「打ち捨てられた高速道路をいろんな生き物が歩いていく」というイメージ自体は「行先が明るいから行くのではない、道が立派だから行くのではない、ただ、行くしかないから行くのだ」という米津らしい「非・ポジティブ思考」がビジュアル化したものだが、「でも行ったその先で、目的地には着かなかったけど楽しく暮らしました」という「童話・ブレーメンの音楽隊」の結末と重なり合うことで、ネガティブでもポジティブでもなく、ネガティブでもポジティブでもあるような深みのあるタイトルになった。
 そう、米津玄師は『Bremen』で明確な1歩を踏み出したのだ。明るいほうへ? 暗いほうへ? 希望に向かって? 絶望に向かって? わからない。打ち捨てられた高速道路がはたしてどこへ向かっているのかがわからないように。それでも歩いて行くことに決めたのだ。できるだけ遠くへと。

 
そして、米津玄師の最新アルバム『BOOTLEG』は、タイアップ曲やコラボレーションの曲が数多く収録された作品になった。
つまり「誰か」に向けて、あるいは「誰か」とともに作った曲が数多く収録されている。
それによって一曲一曲が振り切れていて、アルバム全体のバリエーションの豊かさにつながっている。
そしてスケール感が増し、風通しが良くなり、ポップになっている。
自分だけで自分の世界を作り上げるのではなく、「他者」との関わりによって自分がどこまで遠くに行けるか、というのがこのアルバムでの米津玄師の表現のテーマになっている。
その予兆は先行の2曲のシングルの中に実はあった。

《ああわかってるって 深く転がる 俺は負け犬
ただどこでもいいから遠くへ行きたいんだ それだけなんだ》(”LOSER”)

《遠くへ行け遠くへ行けと 僕の中で誰かが歌う どうしようもないほど熱烈に》(”ピースサイン”)

 この切実な叫びに焚き付けられるようにして「遠くへ」「遠くへ」と自分の音と言葉を放った結果として、この『BOOTLEG』というアルバムが完成した。



「人と人はわかりあえない」と言っていた『diorama』の頃の米津玄師は、『YANKEE』(移民)を経て、(打ち捨てられた高速道路を歩く)『Bremen』を経て、本当に遠くへ来ることができた。
そして、遠くへ来たことの孤独(《どこで道を間違えたのか 見失ったポラリス 航海の途中》”fogbound”)や、遠くへ来たことの不安(《イメージしよう プールのそこで眺める水面 教えてよ 何もかも終わらせる言葉を》”Moonlight”)をも正直に表現しながら、『diorama』の頃の米津玄師がまるで羽化したかのような、力強く肯定的でポップなアルバムを作り上げたのだ。
 
このアルバムを米津玄師は『BOOTLEG』(海賊盤)と名付けた。
他者と関わりながら遠くまで来た米津玄師の今の自画像は、このタイトルとこの歌詞の一節に集約されるのだと思う。

《どこへ行ってもアウトサイダー 継接ぎだらけのハングライダー 本物なんて一つもない でも心地いい》(”Moonlight”)
 
とてつもない才能だと思う。
これからも僕は米津玄師を追っていきたい。(山崎洋一郎)



(ロッキング・オン・ジャパン11月号 コラム「激刊!山崎」より)
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