チェンソーマンの衝撃

チェンソーマンの衝撃
気がつけば『チェンソーマン』の放送を楽しみにして日々を送っている自分がいました。
いや、本当はつい忘れたりもするのでアマゾンプライムで翌日水曜日の夜ぐらいに観てるんですが、それでも、僕的にはアニメ作品をこんなに楽しみにするのは「すごいよ!!マサルさん」ぶりです。
僕、実はものすごいアニメ音痴なんです。アニメのこと全然知らない、わかってない。
本誌でアーティストにインタビューするときも、話のテーマの曲がアニメのタイアップだったりすると、一応前日とかにサブスクで観れるやつは最初の1,2話は観たりもしますが、面倒臭くなってやめちゃいます。で、インタビューではそこの話は流し気味にしています。
よくわからないから突っ込めないし、その分は音楽の話で面白く展開すればいいや、ということにしています。
でも最近は話題のアニメの主題歌はほとんど本誌に登場するようなアーティストが手掛けていて、まずいなあと思います。僕がインタビューやってていいのかなあ?って。
だったら観ろよって話ですよね。いや、たぶん観ません。

でも『チェンソーマン』は始まる前から面白そうな予感がしていて、予告映像の時点でもう「これは観る!たぶん観続ける!」と確信していました。
いやずっと前から漫画の連載あるんだから知ってただろ、と思われるかもしれないのですが、知ってはいましたがまったく読んでませんでした。
実は、僕は漫画音痴でもあるんです。漫画のこと全然知らない、わかってない。子供の頃からほとんど読んでこなかった。
僕は子供時代一体何をやってたんでしょう?

体の中に悪魔のポチタを取り込んだデンジが、胸から出ているポチタのワイアーを引っ張ると頭と手からチェンソーが出てきて悪魔を殺しまくる。もうこの仕組みと造形デザインがとてつもない衝撃でした。
米津玄師のインタビューでも言いましたが、これ、ロックじゃん、と素直に思いました。
心の中にある言葉を叫びに変えて、エレキギターの爆音ノイズとともにぶっ放す、そのイメージをこれほど本質的に捉えたキャラデザインはちょっとこれまでなかったのではないか、そう思わせるほどでした。

そしてそのデンジの行動の動機がセリフとして言語化されているのですが、それも衝撃でした。
「この間聞いたんだけどさ、普通食パンにゃジャム塗って食うらしいぜ。まあ俺達ゃ普通なんて夢の話だけどな」
「ただせめて普通の生活がしたいだけなのに、んな事も叶えられねえのかよ」
「胸揉みてぇ」

このセリフのどこがロック衝動と関係があるんだと思う方も多いかと思いますが、大ありです。
食パンにジャム塗って食いてぇ、胸揉みてぇ、これがすべてです。
どんな立派な正義や夢を歌っているどんな大物ロックバンドでも、最初は「文化祭で受けてぇ」だの「女にモテてぇ」だの「会社で働きたくねぇ」だの、そんなもんです。そして、それがめっちゃ大事です!
「ただせめて普通の生活がしたいだけなのに、んな事も叶えられねえのかよ」。
そんなクソな気分をライブハウスのステージからエレキギターのグシャグシャの音とともにぶち撒けるのが、ロックの根源です。
夢や希望やポジティブなメッセージもいいですが、その根源にそういう身も蓋もない、取るに足らない、でも抜き差しならない、クソみたいなリアルな欲望がないロックはつまらないし僕はロックだとは思いません。

米津はボカロ界の出で今やトップスターだけど、砂を噛むような思いや、砂に落ちていくような絶望感が、その表現には常に漂っています。ヌーの常田も音楽エリートで超クレバーな奴ですが、やぶにらみの視線で世界を見ているパンクスであることに変わりありません。その2人がタッグを組んで、胸のワイアーを引っ張って頭からチェンソーを出して悪魔を殺しまくるのは、2022年のロック、ロックンロール以外に何ものでもないと僕は思うのです。(山崎洋一郎)

ロッキング・オン・ジャパン最新号 編集長コラム「激刊!山崎」
山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

フォローする