サマソニ2日目。前日、MIDNIGHT SONICでスパークスやウルフ・アリスまでしっかり堪能してしまったため、やや寝不足ではあったものの、そんな眠気などどこかへ行ってしまうほど、素晴らしいライブばかりだった。あれこれ順を追ってレポートしていきたい気持ちもあるけれど、この日はなんと言ってもチャンス・ザ・ラッパーの初来日という、衝撃的体験に尽きると思う。そう、あれは「体験」という言葉こそふさわしい。
ヒップホップが新たなフェーズへと突入したこと、真に開かれたものとしてポップシーンで受け入れられるべきものであることは、フジロックでのケンドリック・ラマーやポスト・マローンのステージで大いに感じたことではあるが、チャンス・ザ・ラッパーはそれをはっきりと証明するパフォーマンスを見せた。観客とのコミュニケーションを大切にしながら、圧倒的なスケールで歌とラップを届けていく。そこに邪なものは何もない。丁寧に音楽を伝え、あたたかく観客をリードして引き込んでいく。
“Mixtape”、“Blessings”、“Angels”と、オープニングの3曲ですでにシンガロングが起こると、「みんな、歌えるのか!」と、ちょっと嬉しそうな笑顔を見せたのも印象的で、とてもあたたかい気持ちになった。そしてライブが進むにつれ、自分の中に眠っていたとても純粋な感情が呼び覚まされるような、不思議なゾーンへと突入していったのだ。
“All We Gott”でも、《We know,we know we got it》と、シンガロングが巻き起こる。イヤモニを外して、その声に耳を傾けるチャンス。悲しみも怒りもすべてを内包したようなチャンス・ザ・ラッパーの歌声は、「音楽がすべてだ」、「それはとても聖なるもの」と伝えてくる。ビートと言葉、そこにあるものがすべて、それを信じればいい── 信仰心のない自分にとって、これが宗教的な体験であるのかどうかは、うまい説明のしようもないが、スピリチュアルな思考について日々肯定と否定の間で揺れ動く暮らしの中にあって、何の警戒心も疑問もなく「この音楽は信じられる」と思えること、そのこと自体が自分自身を浄化してくれているように思えた。
夕暮れから夜へと変化していく美しい空の下で“Same Drugs”をみんなで歌ったことも、いま思うと夢のような景色だ。攻撃的な今年の猛暑にもようやく終わりが来たことを告げるような、穏やかな夏の夕暮れ。気持ちの良い風が吹く。何なのだろう、この完璧すぎる体験は。いつもならこんな体験や自分の感情は疑うものだ。
でも「Don’t be scared!」と、一緒に歌うことを促すチャンスの言葉に導かれて、“Blessings (Reprise)”で、ゴスペルのような重厚でホーリーなコーラスをバックに何度も《Are you ready for your blessings?》とシンガロングしている時間は、まさに生の祝祭のようで、気づいたら思い切り涙が溢れていた。
もうそれがヒップホップであるかどうかはどうでもよかった。逆説的だが、心底そう思わせてくれるヒップホップに出会えたことこそが革新的で、それが今のヒップホップのあり方として正しいのだと思う。とても自由だ。
チャンス・ザ・ラッパーの後、今年のサマソニ、というか、今年の夏自体を締めくくるアクトとして、ギリギリまで2つの選択肢の間で迷った。ジョージ・クリントンとベック── どちらを選んでも正解だっただろう。悩ましくも贅沢な両面待ちだが、最終的にベックを観ることにした。ベックがその前のチャンスのステージを観たかどうかはわからないけれど、あんなパフォーマンスを見せられたあとでは、トリとして生半可なパフォーマンスはできないと、まっとうなミュージシャンなら思うはずで、ベックのこの日のステージは、予想を上回る圧巻のショーだった。
“Devils Haircut”、“Loser”、“The New Pollution”と続けざまに畳み掛けるオープニングには、クールで洒脱ないつものベックというより、本気で自らのキャリアをすべてぶつけてくるような、強い意志を感じ取った。優れたポップ・ミュージックが革新性を携えて登場し、時を経て、それが普遍的なスタンダードへと変化してきた様を、この冒頭3曲ではっきりと見せつけたのだ。それこそがベックの強さだ。今やスタジアムで鳴るロック・サウンドとして最高に気持ち良い。“I’m So Free”や“Dreams”といった、新作『カラーズ』からの楽曲も、とてもモダンなロック・バンドのアンサンブルで聴かせる。
恒例のメンバー紹介は、シック、ザ・ローリング・ストーンズ、ニュー・オーダー、トーキング・ヘッズ、フィル・コリンズと続き、先人へのオマージュをたっぷり込めて存分に盛り上げるし、アンコールはファンキーでゆったりとしたグルーヴの“Where It’s At”を繰り出す。“Up All Night”でゲスト・ボーカルとして参加したDAOKOも含め、最後は全員横並びでサイドステップのハッピーなダンス。
この、いつまでも終わらないのではないかと思わせる幸せなグダグダ感は、ウラでライブ中のジョージ・クリントンへのオマージュのようでもあった。まだその曲が終わらないうちに花火が上がって、強制的に終了を告げるような流れも、Pファンクっぽい(笑)。ベックらしいロックンロールのエンタテイメントの素晴らしさ、そしてその演奏の質の高さに圧倒されたステージだった。
上記2組以外にも、早い時間のBillboard JAPAN STAGEで観たセン・モリモトの日本では初めてとなるライブステージや、同じく88risingのフックアップにより世界的な注目を集めるHigher Brothersのステージは、チャンス・ザ・ラッパーとは別のベクトルでヒップホップの革新性を感じさせてくれるものだった。特に、セン・モリモトの天性とも言えるビート感と繊細ながら芯の強いラップは、シカゴの音楽仲間だというプレイヤーたちの生音と融合して得も言われぬ幸福感を生んでいた。「新曲」の意外なポップさにも驚いたが、今後がますます楽しみなアーティストのひとりだ。
まだ18歳のトラックメイカー、プチ・ビスケットのライブも初めてだったが楽しませてもらった。サンプラーを操りながら、時折自らエレクトリックギターを弾いたり、既定概念にとらわれないダンス・ミュージックを模索するアグレッシブな姿勢に好感が持てる。シームレスにつないで進行していくのではなく、楽曲それぞれの多彩さを楽しませてくれるライブは、ロックやポップ・ミュージックとしての位置付けのほうが近いようにも感じたし、これからどう変化していくのか非常に楽しみ。
グラミー新人賞受賞も記憶に新しい、新時代の歌姫、アレッシア・カーラの歌声にも魅了された。広いMOUNTAIN STAGEいっぱいに響く圧倒的な声量の歌声、ナチュラルでスタイリッシュな佇まいも含め、ポップスターとしての存在感が際立っていた。アレッシアはこれからのR&Bシーン、ポップシーンを先頭に立って牽引していくだろうし、MOUNTAIN STAGEでライブを観られたことが貴重だと思えるほどのアーティストになっていくのは間違いない。
ほかにもまだまだ今年のサマソニは見どころが満載すぎて、本当にどのステージに足を運ぶか、ひとつアクトが終わるたびに、何度も何度もタイムテーブルを穴があくほど見つめた。それぞれのステージに物語があるし、それぞれのステージを横断して自分なりのロックのストーリーを紡ぐことも可能だった。それにつけてもやはりチャンス・ザ・ラッパーである。サマソニ終了から2日が経った今も、あの光景とあの高揚感がまったく体から抜けない。困った。(杉浦美恵)