ディジー・ミズ・リジー、H.E.R.O.の快進撃にみる、デンマーク産ロックが熱狂的支持を受ける「秘密」を徹底解明!

ディジー・ミズ・リジー、H.E.R.O.の快進撃にみる、デンマーク産ロックが熱狂的支持を受ける「秘密」を徹底解明!

デンマーク出身のロック・バンドといえば、今ならばまず、ディジー・ミズ・リジーとH.E.R.O.の名前を思い浮かべる読者が多いのではないだろうか。3月18日に発売されたディジー・ミズ・リジーの通算第4作目『オルター・エコー』と、4月1日にリリースされたばかりのH.E.R.O.の第2作目『バッド・ブラッド』は、ともに日本のアルバム・チャート(オリコン調べ)の洋楽部門においてデイリー1位に輝いている。確かに総合チャートでの週間集計になると邦楽の強豪たちにより上位から押し出されてしまうことにはなるのだが、この事実は、発売日到来を待ちに待ってすぐさまCDを購入するような熱心な支持層をこの両バンドが獲得していることを裏付けている。


ディジー・ミズ・リジーは母国デンマークにおいてまさに国民的バンドというべき存在であり、この『オルター・エコー』もザ・ウィークエンドの『アフター・アワーズ』に阻まれて初登場首位獲得こそならなかったものの、3月27日付の同国アルバム・チャートにおいて2位に登場。人気の根強さがうかがえる。かつて一度は歴史を閉じているこのバンドだが、1994年に発表されたセルフ・タイトルのデビュー作の記録的大ヒットは、この北欧の小国の音楽シーンの常識を変えたと言われている。当時、彼ら自身がまだ20歳そこそこの若さだったわけだが、その突然変異的な成功劇をキッズ目線で捉えていたのがH.E.R.O.のメンバーたちだった。ガンズ・アンド・ローゼズでロックに目覚めたという同バンドのドラマー、アナス“アンディ”・キルケゴールは、当時を振り返りながら「まさか自分たちの国からあんなにすごいバンドが登場するなんて思ってもみなかった。あのアルバムからは何曲もNo.1ヒットが生まれたし、デンマークのミュージシャンで彼らの“シルヴァーフレイム”を練習したことがないやつなんか皆無なんじゃないかな」とまで語っている。

要するにディジー・ミズ・リジーの成功は〈デンマークのローカル・バンドにも、英米の有力バンドに匹敵するような作品を作り、ビッグになることが不可能ではない〉ということを証明し、後続世代にとっての未来を拡げたのだといえる。これは〈日本のロック〉が洋楽に劣るものと決めつけられていた時代を経てきたこの国の音楽ファンにはわかりやすい話なのではないだろうか。また、もちろんそうした新たな開拓者が登場する以前にはさらなる先駆者の存在があったわけで、デビュー当時のディジー・ミズ・リジーの面々は、同国にロックを根付かせた功労者としてD.A.Dの名前を挙げている。

そのD.A.Dもまた若くして母国でのローカル・ヒーロー的な地位を確立後、1989年には米ワーナー・ブラザーズと契約を交わし、鳴り物入りでワールドワイド・デビューを果たしている。残念ながら米国市場での大きな成功を手にすることはなかったが、世界デビュー作となった『フォー・ザ・ピルグリムズ』(1989年)、続く第2作の『リスキン・イット・オール』(1991年)などは日本でも支持を集めたものだ。結果、世界進出よりも従来通りの活動を望んだ彼らはローカルな存在へと逆戻りすることになったが、バンドは今も精力的に活動を続けており、2000年以降もほとんどの作品を母国のアルバム・チャートの首位へと送り込んでいる。昨年発表された『A PRAYER FOR THE LOUD』(国内未発売)もその例外ではない。


さて、話をディジー・ミズ・リジーに戻そう。彼らにとって日本はまさにデンマークに次ぐ第二のマーケットであり、第二のホームともいえるわけだが、わが国でこれほどまでの支持を集めていることについて当事者はどう考えているのか? バンドの中枢であるティム・クリステンセンは、いまだにその理由を明快には答えられないという。

「実のところ、それは僕自身にとってもいまだに謎でね(笑)。2010年、再結成ツアーで日本に行った時にしても、もはや日本のお客さんはデビュー当時ほど僕らには興味がないんじゃないかと思っていたけど、フタを開けてみたら昔からのファンばかりじゃなく新規のファンも大勢集まってくれてね。こうして自分たちの音楽を待ってくれてる人たちが遠く離れた国にもいてくれたんだって、すごく感動したんだ。それに背中を押されて、こうしてまたこの3人で新しい曲を作っていこうって気持ちになった部分もあるんだよ」


そしてティムは、日本での成功の鍵となったのはメロディなのではないか、と考えている。

「おそらくメロディを大切にするところが、日本とデンマークの音楽に共通してるところじゃないかな。しかもエネルギーの次元での共鳴というものがある。このバンドが大事にしているのも、まさにその2つだからね。それが僕たちと日本のリスナーを繋いでくれているというか……。きっぱりと明言することはできないけど、とにかくお互いに何かしら響き合うものがあることは間違いないようだし(笑)、こうして自分たちの音楽に共鳴し、楽しんでもらえていることについては本当に感謝している。こんなに有難いことはないよ」


メロディが最重要視された楽曲。それが日本での成功の鍵だったという解釈をしているのはティムばかりではなく、H.E.R.O.のフロントマンであるクリストファー・スティアネについても同じことだ。ソングライターとして他のアーティストへの楽曲提供の実績もある彼は、次のように語っている。

「日本の音楽ファンは何よりもまず、僕らのメロディを受け入れてくれたように思う。実際、それこそが僕ら自身にとって、音楽をやることで何よりも強く印象づけようと努めている要素だし、グッド・メロディこそが、僕らの音楽のメインとなるものなんだ。僕自身は、他の要素はすべて二の次でいいと思ってるくらいでね。人の心を動かすような音楽を作るべきだと思っているし、僕としては何よりもメロディで人の気持ちを動かしたいんだ」


彼は同時に、そもそもはロック・ファンであったのにロック・ミュージック自体に飽きてしまった時期があったことを認めている。

「僕の場合、人生のなかで最初に強い思い入れを抱いたのは、グランジ・ミュージックだった。だけどその後、ロックに飽きてしまった時期があってね。それで、ロック以外なら何でも聴くようになっていった。あらゆるポップ・ミュージックを聴いてきたと言ってもいいと思う。そして、そういった時間を経て、ついに愛すべきロック・ミュージックへと戻ってきたんだ。典型的なロック・ソングじゃないものを自分の手で書くためにね。一時期ロックにうんざりしてしまったのは……すごく正直に言うんだけど、どんなに新しいロック・ソングだろうと、すでに何百回も聴いてきたもののように感じられるようになってしまったからなんだ。それまでに一度も聴いたことのないはずの曲であろうとね。同じようなギター・パートの構成ばかり目につき、同じようなタイプのシンガーばかりたくさんいて、歌詞のテーマもメロディも、何もかもが似たり寄ったりだと思えた。しかもそこに、良いメロディの欠如というものを感じたんだ」


さらにクリストファーは、先輩にあたるティム・クリステンセンの名前を挙げながら、次のように発言している。

「おそらくティムも同意してくれるはずだけど、僕らはお互いロック・バンドというよりソング・バンドなんだと思う」


フィンランドがメタル大国として、ノルウェーがブラック・メタルの聖地として認知されるようになってすでに久しいが、同じ北欧でもデンマークの音楽シーンには、そういった強い印象が伴いにくいようにも思われる。ただ、かつて同国の音楽ファンと話していると「この国出身のミュージシャンで世界的に有名なのはメタリカのドラマー(=ラーズ・ウルリッヒ)と、キング・ダイアモンドくらいもの」といった発言をよく耳にしたものだが、今は違う。もちろんプリティ・メイズのような老舗メタル・バンドの存在や、H.E.R.O.とも繋がりのあるミューなども忘れるわけにはいかない。そして、あれこれ思い返してみると、実はジャンル感を問わず、メロディ重視型のバンドが多かったことにも改めて気付かされる。

ディジー・ミズ・リジーにしろ、H.E.R.O.にしろ、ここ日本で最初に飛びついたのは〈メロディックな楽曲を愛するハード・ロック/ヘヴィ・メタル・ファン〉だったといえる。が、双方の音楽はより広い領域で共鳴を獲得し得るはずのものだし、そこを入口としながらデンマークという国自体に注目してみるのも面白いかもしれない。なお、発売中のロッキングオン5月号には、『オルター・エコー』についてじっくりと語るティム・クリステンセンのインタビューも掲載されているので、併せてお読みいただければ幸いだ。(増田勇一)
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