創造、純度高き混沌
全14曲による、音楽を盗作する男の物語。春から夏へ移るなか、犯行し、逃亡し、浮世を離れ、懐古する。スウェーデンが舞台の前作~前々作に対し、今作は和の薫る曲が多い。サウンド面で言うと、“昼鳶”、“春ひさぎ”における岩肌剥き出しの音像、“逃亡”のジャムセッション的な温度感が特に新鮮だ。suisのボーカルもまた新たな表情を見せている。低音域の冷たい発声や、“爆弾魔”での悲しげなファルセットに胸を掴まれた。n-bunaが影響を受けた文学作品のオマージュが含まれていたり、ヨルシカが過去に発表した作品とリンクするポイントが設けられていたりするのは初めてでないが、『盗作』という表題が問いかけを生んでいる。芸術家に自身の心を切り開いたような表現を求めるのは、無傷な鑑賞者のエゴか。作品=心ならば、「私の気持ちを代弁してくれている気がする」と誰かの曲を口ずさむのも盗みになるのか。「人生が芸術を模倣する」ならば、完全にオリジナルな人間なんて存在しえるのか。形のないものに身や心を捧げ、時に翻弄される人間はある意味滑稽かもしれない。だけど、だからこそ美しいと思わせられる洗練と情熱がここに。(蜂須賀ちなみ)有罪判決で死刑。執行猶予は死ぬまで
コンセプチュアルな作風、つまり多分に意図を含んでいながら、その根底にはピュアな表現衝動がとめどなく流れているアルバムだ。この世界に爪痕を残したい、この声に、思いに気づいてほしいと願いながら募らせる表現衝動は、犯罪動機に限りなく近い。本作の楽曲タイトルにも“昼鳶”(日中の空き巣やスリのこと)や“春ひさぎ”(春を売ること=売春)など、罪のメタファーがちりばめられている。n-bunaはかつて“だから僕は音楽を辞めた”という楽曲で、音楽表現とピュアな情熱について思いを巡らせる歌を書いたが、本作ではそこから更に突き詰め、罪の意識を背負う覚悟で表現に臨んでいる。そもそも、盗作の定義は法の枠組み次第で移り変わる曖昧なものなのだが、「あの時純粋な気持ちで触れた音楽に影響を受けている」という事実から『盗作』という定義を導き出した点がすごい。だから、ロックやジャズ、ソウルの大人びた音楽性と巧みなソングライティングを使いこなしながらも、ヨルシカの歌は痛ましいほどにピュアなままでいられるのである。とりわけ、終盤の“夜行”で描かれる情景と、suisの歌声の美しさには気が遠のいた。(小池宏和)(『ROCKIN'ON JAPAN』2020年9月号より)
現在発売中の『ROCKIN'ON JAPAN』9月号にヨルシカが登場
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