緊急特集! レディオヘッド、5年ぶりの新作『ア・ムーン・シェイプト・プール』のここがすごい!!

レディオヘッドのニュー・アルバム『ア・ムーン・シェイプト・プール』がリリースされてからおよそ1週間が経ち、彼らのエポックメイキングなこの新作を夢中になって聴き続けている人も多いんじゃないかと思う。ここでは改めて『ア・ムーン・シェイプト・プール』に至るまでのレディオヘッドの動きを振り返りながら、本作の何が画期的なのかを考えてみることにしよう。

文=粉川しの

リリースまでの経緯

5月8日(日本時間5月9日)に『ア・ムーン・シェイプト・プール』がリリースされるまでのプロセスは、ここ10年のレディオヘッドのやり方と比較すれば、意外なほど丁寧だったと言えるんじゃないだろうか。自由価格設定で話題を呼んだ『イン・レインボウズ』(2007)にせよ、前作『ザ・キング・オブ・リムス』(2011)にせよ、直近2作はアルバムの内容がほとんど明かされることがないまま、いきなりデジタル・リリースされている。これは『イン・レインボウズ』に際してトム・ヨークが言っていたように、「先入観を廃し、聴き手にすべてを委ねる」ために不可欠な方法論だった。しかし、今回の『ア・ムーン・シェイプト・プール』のリリースまでのプロセスは、聴き手にすべてを委ねきるのではなく、アルバムの理解をより深めるためのヒントとガイダンスを積極的に打ち出していこうとする彼らの意志を強く感じさせるものだった。

なんと言っても、アルバムのリリース前に新曲が2曲も公開されたというのが近年のレディオヘッドとしては異例だ。しかもその2曲はアルバムのイントロダクションと呼ぶに相応しい狙い澄ましたナンバーで、異様にクオリティが高いミュージック・ビデオも同時公開されるという用意周到さだった。ウィッカーマンをモチーフに、難民危機や他者への不寛容を描いた“Burn The Witch”、ポール・トーマス・アンダーソンがメガホンを取り、殆ど短編映画のような佇まいを持つ“Daydreaming”と、どちらのビデオも独立した作品として成立しうる具体性を持ち、物語を語る作りになっていたのも見逃せない。

”Daydreaming”

そんな2曲の先行曲で感じた彼らのスタンスの変化は、そのまま『ア・ムーン・シェイプト・プール』にも引き継がれている。“True Love Waits”や“Present Tense”を筆頭に、本作には彼らが数年、十数年前に書いた楽曲も多く含まれている。むしろ本作のためにまっさらな状態から書きおろされたナンバーのほうが少ないくらいだ。それもあってか、『ア・ムーン・シェイプト・プール』は『キッドA』(2000)のようにレディオヘッドのサウンドを根本から刷新したアルバムとは言えない。にもかかわらず、本作には『キッドA』にも匹敵する驚きがあり、レディオヘッドが新たなフェーズに入ったことを確信させる作品になっている。このアルバムの新しさとは恐らく、「示し方」、「鳴らし方」の新しさなのだと思う。

本作におけるジョニーの功績

レディオヘッドのサウンドを根本から刷新する代わりに、この『ア・ムーン・シェイプト・プール』にはレディオヘッドのサウンドのおよそ考えうるすべて、がある。たとえばトムが最新ソロ作『トゥモローズ・モダン・ボクシーズ』(2014)で獲得したDJ的アプローチや、ジョニーが積み重ねてきたクラシック・コンポーザーとしての実績、“Burn The Witch”なんてその真逆なふたつのエッセンスのまさに合わせ技の成果のようなナンバーだ。一方、ジョニーはエドと共に久々にギタリストらしいギターをかき鳴らしてもいる。かつて「ギターは数多ある楽器の中のひとつ、という意味しか持たない」とまで言っていたあのジョニーが、だ。

”Burn The Witch”

クラウト・ロックやジャズ(“Ful Stop”)、レゲエやダブのリズム(“Identikit”)といった2000年代以降のレディオヘッドの必須エッセンスはもちろん健在だし、オーケストラ・サウンドは本作の影の主役と呼んでいいくらいの存在感。ストリングスは『イン・レインボウズ』の時点で既に外せない要素になっていたものだが、ここまではっきり前面にフィーチャーされたのはもちろん初めてだ。ブレイクビーツからロック、アヴァンギャルド、そしてオーケストラまで自在に使いこなし、彼らは本作をダイナミックに躍動させている。その一方で、繊細に編み込まれたアコースティックな旋律(“Present Tense”)、ボサノバやフォークロアに加えてメシアンやクラシックからの借用は、彼ら固有のアンビエント&エレクトロ(“Tinker Tailor Soldier Sailor Rich Man Poor Man Beggar Man Thief”)と混ざり合ってぞっとするほど美しく不穏な空気、そしてそこに佇む寄る辺なき孤独を浮かび上がらせていく。また、90年代から脈々と続く彼らのピンク・フロイドに対する変わらぬオブセッションのようなものも、アルバムを通して根強く感じられる。

そう、この『ア・ムーン・シェイプト・プール』は『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』(2003)や『イン・レインボウズ』を凌駕するドラマティック&エモーショナルなアルバムだし、『OKコンピューター』(1997)や『アムニージアック』(2001)に匹敵する憂鬱のアポカリプスも兼ね備えたアルバムでもある。しかも『ア・ムーン・シェイプト・プール』のそれらすべては、「あからさま」に示され、鳴らされている。その剥き出しの直接性が新鮮なのだ。

本作の直接性は、聴覚はもちろんのこと、それこそ全身で触れるように感じられるはずだ。彼らがいったん「ロックを捨てた」と言われた2000年代以降で、こんなにも心身に肉薄してくるレディオヘッドは初だし、エレクトロやアンビエントが彼らの常態となって以来、その音の粒子がこんなにも抵抗なく体に浸透していく感覚も初めてだ。レディオヘッドが、近い。近づこうとする彼ら自身の意思を、強く感じる。
また、たとえば「Broken hearts make it rain」と繰り返される“Identikit”の歌詞には、20年以上連れ添ったパートナーとの別れを経験したトムの痛切な想いが透けて見えるし、もっと言えば“True Love Waits”だって、そんなトムがパーソナルな視座を持った作品だからこそハマったのかもしれない。つまり、本作はリスナーである私たちに「近い」だけではなく、彼ら自身の心と体にもぴったりと寄り添った作品なんじゃないかと思うのだ。

レディオヘッドが本作で露わにする本質

こうしてレディオヘッドとは何者なのかを剥き出しに、つまびらかにしていく『ア・ムーン・シェイプト・プール』は、同時にはっきりしたフォーマットを持ったアルバムでもある。もちろんそれはヴァース・コーラス・ヴァースのポップ・ソングとしての定型にはまったという意味ではなく、彼らの動的自画像とでも呼ぶべきか、レディオヘッドのかたちを、定義を、答えを見出そうとする意思のことだ。ちなみに前作『ザ・キング・オブ・リムス』は、同作のリミックス集(『TKOL RMX 1 2 3 4 5 6 7』)まで含めて、自由かつ永遠の解釈を可能とする未完のかたち、その「過程」自体に意味を見出したアルバムだった。本作は『キッドA』以降のどの作品よりも『ザ・キング・オブ・リムス』との落差を感じるアルバムだが、それも両者の「答え」と「過程」という動機の差故なのだと思う。

これらすべての本作の特徴を踏まえた結論として言えるのは、『ア・ムーン・シェイプト・プール』はレディオヘッドにとって『キッドA』以来のエポックメイキングなアルバムだということだ。『キッドA』が過去との断絶も厭わない変化と革新の一枚だったのに対して、途切れない連続性の中に位置しながらも、気がついた時にはレディオヘッドの普遍の場所に連れてこられている、『ア・ムーン・シェイプト・プール』はそんな驚きと感動に満ちたアルバムなのだ。

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