ウソツキ ど直球のラブソング集『一生分のラブレター』に迫る!(2)

自分で本当に良いって思えたならそれで良いじゃないか、そうやって悩むこと自体おかしいんじゃないかと思っていましたね

――そもそも竹田さんが音楽を始めたきっかけは?

「歌自体は昔から好きだったみたいですね。小さいときから変な歌を歌っていたってうちの母親が言っていました」

――変な歌?

「既存の曲を憶えるのが苦手だったみたいで、自分で適当に作曲していたんですよ。小さい頃、自分では歌が上手いって思っていたんですけど、どうやら音感がなかったみたいで。それである日音楽の授業で先生が『竹田くん、何でそんなに自由なことするの?』とブチ切れまして……僕はその曲を聴いてその通りに歌っているつもりなんですけど、どうやら全く違ったらしいんです(笑)。それで僕は歌を歌えないんだっていうことに気づいて、落ち込んで歌わなくなるんですけど」

――それはいつ頃ですか?

「小学校5、6年生あたりですね。それで中学・高校の頃は全く歌わなかったし、音楽も聴かなかったんですね。高校2年生のときにひとりの女の子に『“青いベンチ”(サスケ)って良いよね』って言われたんですけど、そのときめちゃくちゃ流行っていたにも関わらず僕は知らなくて。『何それ?』って言ったら『何でカッコつけるんだ』って言われて、もうそれは今でもトラウマになっています(笑)」

――歌えなくなって、トラウマまでできてしまったのに、そこからどうやってバンドを組むまでになったんですか?

「当時僕は友達があまりいなかったんですけど、同じように友達の少ない友人がバンドを組みたかったらしく、僕の教室まで『ギターをやってくれ』って言いに来たんですよ。そのときにレーサー Xの『Superheroes』っていうCDを渡されて。音楽はそれまで聴いてこなかったんですけど、僕はそれに衝撃を受けたんです。そのとき衝動的にギターをやらなきゃいけないと思って、ギターを買ったんですけど、僕が衝撃を受けたのはディストーションギターそのものだったようで、エレキギターでDコードを歪ませてジャーンとやるのが楽しかったんですよ。もう10時間ぐらい毎日Dを鳴らし続けるっていう」

――ストイックというかマニアックというか……。

「それだけやり続けるなんてある意味天才ですよね(笑)。で、文化祭に出られるバンドを決めるオーディションが学校であって、みんなで音源を聴いて投票していくシステムだったんですよ。そのときに自分のギターソロをひけらかしたCDを作って(笑)。僕のギターソロが流れたときに『なんだ、このギターは!』ってその場がザワつきましたね。それから友達もできたし、ギターにはだいぶ救われているんです。自分にとってのアイデンティティだったんでしょうね」

――当時とだいぶ趣味が変わったんじゃないですか? 何でウソツキのような歌モノバンドをやるようになったんですかね?

「自分でもだいぶ変わったなとは思うんですけど、それに関してはちょっとずつですかね。当時は、ハードロックとヘビーメタルしか音楽とは認めていない竹田と、同じような趣味のドラムと、Mr.ChildrenとBUMP OF CHICKENが好きなベースと、MONGOL800と銀杏BOYZが好きなボーカル、みたいなバンドだったんですよ。学生だったので、1曲目はハードロック、2曲目はMr.Children、3曲目は銀杏BOYZ、みたいにどんどん曲をやっていて」

――そうやって演奏していくうちに趣味が広がっていった。

「そうですね。きっと白紙だったんでしょうね。それまで音楽を本当に聴いてこなかったので、いかようにもなれたというか」

――ハードロックをやっていた頃から歌詞を大事にしながら曲を書いていたんですか?

「違いますね。昔は歌詞なんてクソだと思っていたので(笑)。歌詞やメッセージについて考え始めたきっかけは……強いて言うなら“ガラスとカラス”という曲ですね。大学3年生ぐらいのときに作って、ウソツキがまだ今のメンバーじゃない頃にやっていた曲なんですけど」

――その曲はどうやって生まれたんですか?

「何に価値があるのかなんて分からないと思っていた時期があって。ライブを観て自分が良いなって思うバンドがいてもそのバンドは全然売れていなくて、逆に全然良くないと思うようなバンドのほうが売れている。それで『自分が良いと思って歌っている曲ももしかして良くないのかな』っていうふうに考えてしまったとき、何に価値があるのか分からないなって悩んでしまって。カラスって光るものをとにかく集めるじゃないですか。だからカラスにとってはビー玉も宝石も変わらないんですよ。それと同じように、自分で本当に良いって思えたならそれで良いじゃないか、そうやって悩むこと自体おかしいんじゃないか、と書きながら思っていましたね。この曲ができたときに、そういう曲の書き方を見つけたんですよ」

――つまり、そのときから曲作りのきっかけは自分のなかにあるアンチや絶望だったといいうことですよね。あのバンドのほうが評価は高いけどこっちのバンドのほうが良いじゃないか、っていう。

「かもしれないですね。おそらくそういう性格なんでしょうね」

「こういうふうにすればポジティブに変えられる」「こうしたら良いんだよ」っていうのを早く言いたいという気持ちが強いんじゃないかなって思います

――その性格は今の竹田さんが書くものにも表れているかと思いますが。

「そうですね。実は“一生分のラブレター”は初めて詞先で書いた曲なんですよ」

――へえ! 今までは曲先だったんですか?

「いや、普段はテーマ先というか、まず言いたいことがポンとあって、それを曲にするためにアコースティックギターを弾きながら適当に話していくっていう作り方なんですけど。きっと自分のなかでものすごく強かったんでしょうね 、あのコメント欄を見たときに感じたことが。大事なものほど『いつか終わってしまうなら好きだって思いたくない』っていうふうに人間は考えてしまうと思うんですけど、でもそれって最終的に『いつか死ぬなら生きたくない』っていうことになってしまうから良くないと思っていて。だから自分がそう思って怯えたくないっていうのもあるし、コメント欄に書き込んでいる人たちにもそういうふうに思ってほしくないっていうのもあるし。それですぐに、最初の《何回だって告白をしよう/君が好きだって伝えよう》っていうフレーズから順に、携帯で(歌詞を)書き始めていましたね。これまでの曲は『竹田に似た誰か』を置いて物語を進めていくっていう書き方が多かったんですけど、だんだん『これって竹田くんだよね』って取材とかでも言われるようになって、『スーパーリアリズム』の頃には自分のことを書いてみようってすごく意識していましたね。それで今回の曲も僕に近いというか、僕が喋っているという気持ちなんですよ」

――歌っているというよりも喋っている感覚なんですね。そこまで素の状態で曲を書くとなると、自分が抱えているコンプレックスなんかも曲に表れてしまうじゃないですか。

「確かにそういう部分を思い出さなきゃいけないんですけど、僕が書く曲は絶対にポジティブなんですよ。例えば最初は『いつか恋は終わってしまう』というところに並ぶネガティブなコメントを見て『自分にもそういうふうに思う節があるな。嫌だな』って思ったとしても、曲にしたときにはもう『恋がいつか終わってしまうものだとしても、何回だって告白してみたらどうかな』っていうふうに解決している。だから悩んだ結果に近いのかな。悩んでいる過程を書いている曲はないかもしれないですね。自分自身の葛藤や悩みを作品にすることによって、自分としても腑に落ちて悩まないようになるっていうか」

――だから曲のきっかけになるのは自分のなかにあるネガティブな要素だったとしても、本当に伝えたいのはその先にあるポジティブなメッセージのほうだということですよね。

「そうですね。『こういうふうにすれば僕に似た人は考え方をポジティブな方向に変えられるんじゃないかな』っていうきっかけを曲のオチにしていて。だから『こうしたら良いんだよ』っていうのを早く言いたい、という気持ちが強いんじゃないかなって思います。僕の曲にはそういう気持ちが根本にありますね」

提供:UKプロジェクト

企画・制作:RO69編集部

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