東京事変が「再生」を発表したのは、2020年元旦。閏年にしてオリンピックイヤーのビッグニュースとなったが、「東京事変 Live Tour 2O2O ニュースフラッシュ」は、新型コロナウイルスの影響でほとんどの公演が中止に(東京オリンピックも延期)。しかし5人はEP『ニュース』を皮切りに、数多くのタイアップと共に着々と新曲のリリースを続け、ついに6月9日、ロックの日に10年ぶりのフルアルバム『音楽』(ミュージック)をリリースした。この『音楽』について、遂に椎名林檎がすべてを語ってくれた。なぜ『音楽』には、J-POPや歌モノ、はたまた歌詞という概念さえも超えた、新たなポップミュージックが詰まっているのか? なぜ東京事変は、時を経た「再生」で今という時代に摩擦と共鳴を起こすことができたのか? 彼女の言葉は、『音楽』に至る日々の謎を解き明かす手がかりになるはずだ。
インタビュー=古河晋
再結成って、その先に発展したものを作らないといけないっていう鉄則があるじゃないですか。でも、それを満たすかの判断基準が曲に取りかかってみないとわからなかった
――8年ほど、東京事変としての活動はなくて。でも、その間もサブリミナル的に、演奏ではメンバーが参加したり、『紅白歌合戦』にバックバンドとして出たり、みたいなこともあったじゃないですか。「ええ」
――その期間、林檎さんの中で東京事変というものがどういう存在としてあり続けたのか、どういうふうに東京事変のことをご自分の中で位置づけていたのか、っていうあたりから聞いていきたいなと思ったんですけど。
「まあ……昔ながらの仲間なので。プレイヤーとしてこの組み合わせがどうとかっていうことを、最早いちいち考えるわけでもないし、なんでもやってもらってきているし。そんなに考えてなかったっていうのが正直なところですかね」
――まあ自然に、そういうタイミングがあれば、集まって音を奏でるみたいなことはあってもおかしくない関係性のままだったというか。
「そうですね。あんまり節操なくなっちゃうとあれだから、閏年だけはやっていい、ということにしていたのかな? 一応、正式に解散してるから(笑)、一緒にはやってなかったですけど」
――では、東京事変をもう1回動かそうというふうになったきっかけというのは、なんだったんでしょうか?
「閏年に、ちょうど美しい数の並びだな、というだけじゃないですかね。あとはやっぱり、バンドってみんながそれを拠り所にしないと暮らせないというような状況でやることでもないじゃないですか。スケジュールもらうのが難しい時にやってこそ、いいものになるだろうから。それぞれが活躍してる時に頑張って、その5人ならではのものができそうな時じゃないとありえないし。だから閏年しかやっちゃいけないというルールで、1回、1年だけやってみようかなというぐらいにしたらいいね、っていう感じ(笑)」
――じゃあ、東京事変というのは、きっかけさえあればやるけれど、なければないで椎名林檎ソロとしての活動も順調に進んでいるし、すべてはきっかけ次第という感じだったんですね。
「そうですね。お客さんがどうおっしゃってるのかを、その件に関してはウォッチしてて。終わったものは、そのまま汚してほしくないとおっしゃる方がどれぐらいいらっしゃるのかなあ、とかは気にしてました。あとは、実際どういうものを作ろうという態勢になるか、想像つかなかったので、5人で会ってみたりして。ただ、会ってみてもやるかやらないか、ちょっとわかんない感じでしたね、しばらくは。再結成って、その先に発展したものを作らないといけないっていう鉄則があるじゃないですか。でも、それを満たすかの判断基準が曲に取りかかってみないとわからなかったから。だからジャッジしづらくて、『まあ、やってみる?』っていう感じでぬるっと、トライしてみちゃったっていう」
もうちょっと薄まっててもいいんじゃないかと思ったんですが、それぞれの特徴がより濃くなってて可笑しかったです
――良くも悪くも5人で集まってみたら変わってなかった感じですか?「はい。嫌なことも、良いこともある感じで(笑)」
――でもやっぱり、8年間それぞれに鳴らしてきたものがあるわけですよね。音を鳴らしてみたら、何か新しい化学反応が起きるという感じはあったんですか?
「うーん、煮詰まってるっていうか、すごく濃くなってる感じがしましたね。もうちょっと薄まっててもいいんじゃないかと思ったんですが、それぞれの特徴がより濃くなってて可笑しかったです。人が書いた曲に対して、もうちょっと作者の意図を汲むとか、そういうことができるようになっていることを想定していたら、『あれ?』って」
――「とんがってるじゃん!」っていう(笑)。
「よく言えばそうなんでしょうし(笑)。それが最初はちょっとおもしろくて、びっくりしちゃいましたけどね。段取りとしては、『こういうのができた』ってメンバーがどんどん曲を提出してくれるので、それを触ってみようっていう感じですね。まずはそういうふうに実務的に、一緒に録っていくということ。アンサンブルを作って。でも歌詞とか、歌を乗せるっていうのをまったくしないで、トラックばっかりどんどん上げていく感じでした。私はその時は楽器をやらなくて、ただ一緒にいて、ディレクションしているだけで。みんなそれぞれにいろいろなものと並行してやってたから、忙しかったですしね」
――なるほど。『ニュース』という作品を最初に出されたわけですけど、それぞれの濃くなった部分を軸に今の東京事変を1曲1曲形にしていったらああなったんでしょうか。
「そうですね。ことさら強調したくもなかったんですけどね。ただ、省きようもないですから、そのまま記録されてるんでしょうね」
――で、ツアーを回るはずが、新型コロナウイルスが来てしまって。そこから、2020年と東京事変というものの関係性は、組み替えていかないといけなくなったと思うんですが。
「ええ。まあでも、普通に考えて、録音はできるでしょう? その制約からしても。時期がどうであれ、録音自体は禁じられているわけじゃないから、粛々と行えばいいんですけど、ちょっと考えあぐねたところはありますよね。そもそも、今まで二十数年活動してきて、何回かそのことについて考えて、様子を見るということがありましたけど。新しく誰かが作った曲が、いいふうに作用する時期とそうじゃない時期があるんじゃないかなとか、思うことがありますよね」
――うんうん。
「たとえば震災があったり、今回みたいな混乱があった時に、歌しかないから歌うっていう人が正しくないかっていったらそうじゃないんだけど。自分のような物書きが、なんでそう思うかというと、その場で起きていることを踏まえているというか、リリックなんかを最後仕上げる時に、それをそのままパッケージするつもりで書いてるから。でも、その時はそれをあんまり書きたくなかったから、たぶん、もうちょっと待ちたい、みたいなのがあったかもしれないですね。どんな商売の方も、みんなが正しさを強いられているストレスフルな状態だったと思うし。その模様をそのまま書くのが私の作風なんだけど、ちょっとなんか、あまりにも今それをやるのは気が進まなかった。かといって、オブラートに包むみたいなのも、たぶんあんまりうまくないし。ちょっとどうしようかな、って思ってました」