インタビュー=田中大
──サッカー少年だったんですよね?曲を作り始める前からソウルを聴いていたので、好きな人たちのメロディセンスとかを無意識下で参考にしていたんだと思います
ですね。ずっとやってたんですけど、コロナ禍の影響で学校でのいろいろなことがなくなって、自己満で作ってた音楽を衝動的にマハラージャンさんに送るという奇行に走りました(笑)。
──(笑)。スマホに最初から入っているGarageBandのアプリとかを使って曲を作っていたんですか?
はい。最初はガレバンでした。クローゼット録音をしていたんです。作ったのを父親に聴かせたりはしていました。若干褒めてくれて、「これはワンチャンあるのかも?」って。
──音楽関連の習い事をしていたことは?
習ったりはしてないです。理論とかを何も知らないのもヤバいなと思うようになって、最近、学ぶようになりました。音楽の授業でも褒められたことはなくて、カスだったんです。
──トラックの構築の仕方とかは、何かを参考にしたんでしょうか?
曲を作り始める前からJ-POPよりもソウルを聴いていたので、今思えば、好きな人たちのメロディセンスとかを無意識下で参考にしていたんだと思います。だから語感をできるだけ日本語に寄せないように……というか、適当に気持ちいいように言葉をのせているんです。曲を作るのは、もともと遊びでしたし。
──落書きの延長の漫画をノートに描くようなノリが、曲作りの出発点ということでしょうか?
まさにそうです。作っても誰にも聴かせない時期が長かったので。
──リスナーとして好きで聴いていた音楽は、どの辺りですか?
特に90’sですね。その頃のネオソウルとかヒップホップです。あと、幼少期に父親がエリック・クラプトンやB.B. キングのアルバムを聴いているのを僕も一緒に聴いていました。そのあと、中学生くらいからソウルを聴き始めた感じです。僕が小学校高学年から中学にかけての時期にSuchmos、SANABAGUN.、never young beachとか、J-POPにブラックミュージックを落とし込んでいる人たちが出てきて、「日本でブラックミュージックをやるんだったら、こういう感じなんだろうな」って思いながら聴いていました。
──好きで聴いていた90’sのネオソウルは、ディアンジェロ、ローリン・ヒルとか?
そうです。マックスウェルとかも。ヒップホップ寄りのものはザ・ルーツ、コモンとかです。
──周囲の同世代に、音楽の趣味が合う人はいました?
いなかったです。いないことに苦痛を感じることもなかったですね。音楽は完全に個人的な趣味だったので。
──マハラージャンさんに曲を送った時、どのようなお言葉をいただいたんですか?「ポップスに寄せる」ということがよくわからなくなっていて、迷宮の中をさまよっている感じです。ポップスに寄せると恥ずかしくなっちゃう
「センスあると思いますよ」というDMをいただいたんです。びっくりして、「え?」ってなりました。サウンドとメロディの感じを褒めていただいたのが、僕にとって大きかったです。すごく丁寧に返事してくださって、「今度ライブがあるから来なよ」と言ってくれました。僕、マハさんのライブに行くまで、ライブハウスに行ったこともなかったんですよね。
──マハラージャンさんに評価していただいたあとは、曲をますます精力的に作るようになりました?
マハさんに曲を送ったのは、大学受験の前だったんです。だから本格的にやるようになったのは、受験が終わってからでした。受験が終わった途端、曲を毎日作るようになりました。その中から選んだ12曲が、去年出したアルバムの『大グロス』です。
──アルバムに収録された曲以外だと、2022年10月に“パンorライス”をYouTubeに上げていますね。
“パンorライス”は、「上げてみるか」っていう軽い感じでした。配信でちゃんと出したのは、去年2月の“おまるドライブ”でしたね。
──ライブをやるようになったのも、比較的最近ですか?
はい。ミヤケ武器としては、まだ片手で数えられるくらいしかやっていないです。でも、luvというバンドでボーカル&ギターのHiynとしてライブをやっているので、場慣れはしてきています。luvはもろブラックミュージックで、ポップスにほぼ寄せていない感じなんですけど。
──この1年くらいの間で、生活は激変しました?
はい。ヤバすぎですね。「リハで東京に行って、兵庫に帰ってきた足で大学に行く」みたいな生活なので。大学の講義中に曲のミックスをしてます(笑)。
──(笑)。曲作りが、日常になっているということですね。
そうですね。でも、最近は「ポップスに寄せる」ということがよくわからなくなっていて、迷宮の中をさまよっている感じです。ポップスに寄せると恥ずかしくなっちゃうんですよ。そういう葛藤の時間が結構ある感じになっています。ミュージシャンをやっていく中で「ポップスに寄せないといけない」みたいなことを考えるものの、やはり僕は20歳というのもあって、まだ踏ん切りがついていないんです。それは今でもほんまに難しいところです。
──ポップスを作るということに関しては、WEST.が去年の3月にリリースしたアルバム『POWER』に収録されている“膝銀座”を手掛けたじゃないですか。
あれはもともとミヤケ武器でやるつもりで作った曲を事務所がコンペに出してくれたんです。“膝銀座”は、TikTokでかなり伸びたんですけど。
──1,800万回再生を超えたんですよね?
びっくりしました! 「いい感じにやればポップスに通用するんかな?」と思いつつも、まだよくわからなかったりもして。でも、楽曲提供の場合は僕がやるわけではないので、いくらでも振り切ることができるんですよね。