毛皮のマリーズ @ 渋谷C.C.Lemonホール

毛皮のマリーズ TOUR 2011 "MARIES MANIA"、ファイナル公演。人気うなぎのぼりのバンド状況(この状況、気付けば随分長く続いている気がする。バンドにとっても、シーンにとっても、本当に素晴らしいことだと思う)を反映するように会場C.C.Lemonホールは満席御礼、開演前から凄まじい熱気と期待感を宿している。かく言う自分も今日のライヴに対し、『ティン・パン・アレイ』が毛皮のマリーズの体内に収まる瞬間のドキュメントが見られるのではないか、という期待を抱いていた。ロックンロール幻想を追いかけ続けた末ついに限りなく自らをロックンロールと同化させることに成功した志磨が、「では、ロックンロールでない間の自分、人間・志磨遼平とは何だ?」という問いに向き合い、歴戦のセッションマンの力を借りることでその解答を出してみせた「人間・志磨遼平」の傑作こそ『ティン・パン・アレイ』だとすれば、今度はそれをどのようにして「志みがをロックンロールに変化させるための装置」である毛皮のマリーズの表現に取り込むのか、という点こそが「(他の会場で『ティン・パン・アレイ』の曲を一切演奏しない中唯一の)『ティン・パン・アレイ完全再現公演』になる」と事前に志磨自身がアナウンスしていた今日のライヴの重要なテーマの一つであったはず。そして、結論を先出ししてしまうと、今日のライヴはその成果を鮮やかに叩きつけてくれるものだった。

18時22分、会場にブザーが鳴り響き、その瞬間を心待ちにしていた客席から万雷の拍手が放たれる中、徐々に照明が落ちていき、ステージを覆っていた幕の裏からドレスアップしたマリーズが姿を現す。その衣装といい、演出といい、これから異国の演劇が始まるのではないかという錯覚に陥ってしまった。ステージ上にはマリーズの4人の他、もはやマリーズのライヴにはお馴染みのキーボーディスト・奥野真哉(ソウル・フラワー・ユニオン)に、セカンド・ドラムとパーカッションが加わった7人が立っている。それだけでも十分特別感が漂っているが、今日のライヴはさらに、『ティン・パン・アレイ』再現のために必要不可欠な、あのアルバムに参加した総勢20名以上のゲスト・ミュージシャンが曲ごとに立ち代り現れるスペシャル・フォーメーションで進行していった。
最初に演奏されるのはもちろんアルバム1曲目の“序曲(冬の朝)”。音源よりはるかにデカイ音の劈くようなディストーション・ギターが空間を塗りつぶし、早速『ティン・パン・アレイ』が生演奏されているという目の前の事実を実感させられた。その後続くアルバムA面曲(志磨いわく7曲目“おおハレルヤ”までがA面とのこと)では、マリーズの演奏陣の目を見張るようなレベル・アップが印象的だった。もちろん音源通りどの曲も構造的に、メインとなるのはブラック・ボトム・ブラス・バンドのホーンや、竹野昌邦のクラリネットといったゲストの超絶技巧なのだが、その演奏の土台を固めるだけの演奏力をしっかり身につけていたのだ。技術よりまず勢いやアティテュードに重きを置いてきたパンク・バンドが、フロントマンがほぼ独力で作り上げた世界を守るため、血の滲むような鍛錬を積んだのだろう。その光景を想像するだけでもう胸が熱くなってしまった。
A面曲の演奏の中で白眉だったのが、YMO界隈の人脈やハナレグミなどのサポートでも知られるスティール・ギターの名手・高田漣が加わった“おっさん On The Corner”から“Mary Lou”への流れ。絶えず軽快に跳ね回る高難度のリズムに加え、それをキープしたまま曲の後半では音圧を一気に上げるという素晴らしい演奏を見せた“おっさん On The Corner”に、バスドラを強調した推進力溢れるロック・アレンジと、無数のスポットライトが交差する絢爛豪華なライティングの中を暴れるメンバーの画が異様に興奮を掻き立ててくる“Mary Lou”。全く違うカラーのキラー・チューンを立て続けに、しかもどちらも音源以上の出色の出来で演奏した/できたことで、『ティン・パン・アレイ』によってマリーズが手に入れた音楽的選択肢のふり幅の大きさが表現されたように思えた。たとえ『ティン・パン・アレイ』の曲を今後演奏しなくなったとしても、この収穫は確実に彼らのこれからに繋がると思う。
 
ここまで主に3人の成長とゲスト・ミュージシャンのゴージャスな演奏に耳を奪われていたが、B面最初の曲“星の王子さま(バイオリンのための)”では志磨の圧倒的なヴォーカルを堪能することができた。いや、そもそも志磨って、あの声質やステージ・アクションで勝負する(それで十分勝てる)フロントマンだと自分は思っていたのだ。そんな志磨が、竹内純の凄まじいバイオリン(と、ささやかなエレアコの伴奏)に真っ向から歌をぶつけ1曲を歌いきるだけの歌唱力を見せてくれたのだから、彼もまた自分が生んだこの傑作にミュージシャンとして引き上げられたのだと思う。少なくとも『ティン・パン・アレイ』の中での志磨は、「フロントマン」より「ヴォーカリスト」という言葉の方が似合うミュージシャンとして存在していた。

アルバム同様(完全再現ライヴなので当たり前かもしれないが)今日のライヴにおいても核となったのは、『ティン・パン・アレイ』の根底にある「東京」というテーマがより剥き出しになる9~11曲目の流れだった。弦楽器カルテットが加わった演奏の壮麗さも特筆すべき素晴らしさだったが、それ以上に、志磨の声や動き1つ1つから溢れるエモーションに胸を打たれた。
志磨は自分にとっての東京とは「彼女が育った街」だと語っている。つまり、彼の東京とはそこで始まった恋とイコールだったのだ。しかし、その恋が終わってしまった後も、彼の東京は終わらなかった。傷ついたままでも、みっともなくとも、むしろより一層の愛着を帯びて彼の東京は続いていったのだ。そのことこそが「人間・志磨遼平」のコアにして、このアルバムの最大のメッセージだったのだと思う。つまり、満身創痍で、刻まれた傷さえ隠さぬままで、その痛みを笑い飛ばそうとする意思そのものが、志磨遼平であり、志磨遼平の音楽だったのである。
では、毛皮のマリーズとは何か。誤解を恐れず言ってしまえば、毛皮のマリーズには例えばボウディーズのようなスタイリッシュさはないし、ミイラズよりナードで、オカモトズより年くってる。完全無欠のロックスターというにはあまりにも情けない要素が多い。しかし、ライヴを見れば一瞬で分かる通り、それでもマリーズは、それはもうめちゃくちゃに格好良いのである。それは、情けなさやみっともなさを渾身のユーモアとキュートな強がりで格好良さに変換する「ロックの魔法」が彼らにかかっているからだ。
つまり、一見ロックから遠く距離をとったようなこの『ティン・パン・アレイ』が今日、マリーズのロックンロールとして鮮やかに鳴ることが出来たのは必然だったのである。「人間・志磨遼平」と「ロックバンド・毛皮のマリーズ」は結局のところ同じ構造を持って生きていたのだから。なんて幸福なバンドなんだろう。“欲望”の≪夢から覚めた今もまだ 僕の目は覚めないままだ≫という、アルバム製作中精神的に個とバンドを行き来していたであろう彼の本音が零れたようにも思えるこのフレーズを聴きながら、心からそう思った。

アンコールの“彼女を起こす10の方法”を入れて12曲、時間にして90分弱を駆け抜けた彼らが、最後にステージに立っていた7人(最初と同じ面子)で終幕の礼を済ませた後4人だけで舞台に残り手を取り合って見せた光景が、今日のライヴを象徴していた気がする。つまり、『ティン・パン・アレイ』を形にしたゲスト・ミュージシャンたちと共に演奏することでマリーズが「毛皮のマリーズを越えた地平」で鳴らされたはずの『ティン・パン・アレイ』に追いつき、またさらに先へと進んでいくために「4人の毛皮のマリーズ」の得がたさを再確認した記念すべき日こそ、今夜だったと思うのだ。 (土屋文平)


セットリスト
1.序曲(冬の朝)
2.恋するロデオ
3.さよならベイビー・ブルー
4.おっさん On The Corner
5. Mary Lou
6.C列車でいこう
7.おおハレルヤ
8.星の王子さま(バイオリンのための)
9.愛のテーマ
10.欲望
11.弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」
アンコール
12.彼女を起こす10の方法
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