plenty @ SHIBUYA-AX

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plentyは、まだ知名度が低い、と語られることがある。かくいう僕も、plentyが有名か、そうでもないかの二択ならば、あまり有名ではないと答えるだろう。それは彼らがメディアに多く露出するアーティストではなく、何よりフル・アルバムという単位で数えるならただの1作も発表していない、2011年になって初めてシングル2作を発表したばかりの若いバンドだから、まだバンド名が広く知れ渡っていないのだ、ということもある。しかし、そんな若いロック・バンドが、キャパ1500人以上のSHIBUYA-AXにおけるワンマン公演をソールド・アウトにしているとしたら、どうだろうか。

首都圏近郊のコンサートを観に出掛けるポップ・ミュージック・ファンなら確実に納得して貰える話だが、SHIBUYA-AXワンマンをソールド・アウトするようなアーティストはまず「無名」ではない。だからこう思うのだ。plentyの「まだ知名度が低い」というのは、他の某かのアーティストと比較してどうこうではなくて、plentyの才能の大きさ、表現の鋭さとスケール感、より多くの人々に届くはずだという期待値、そういったものを踏まえた上での「まだ知名度が低い」なのではないかと。会場に着くと、多くの参加者はソールド・アウトも当たり前のような顔をして、バンドの登場を待ちわびている。落ち着いてはいるが、やはり何か異様な光景だ。

ステージを覆い隠す白い幕に「plenty」のバンド・ロゴが投射され、続けて彼らのミニ・アルバムのCDレーベルに描かれていた、膝を抱えた少年のシルエットが映し出される。ここで“東京”のギター・イントロが爪弾かれ、そして細いようで芯の強い、少年性を宿した江沼郁弥(Vo./G.)の歌声が響き渡るのだった。この歌声は、刺さる。ステージは未だ幕で覆われたまま、早々にプレイされることとなった最新シングルのナンバー“待ち合わせの途中”では、演奏する3人に照明が当てられ、今度は彼らのシルエットが浮かび上がるのだった。様々なアングルで影が投射され、アクティブに切り替わってゆく。まちまちに立ちすくむ人々の立像の影もオーバーラップし、戸惑いながらも前進意志を見せ始めたplentyの歌の推進力を視覚的に映し出していった。モノトーンの視界が美しい。最近の音楽コンサートでは節電に配慮した、新しいアイデアの照明効果や演出を目にする機会が少なくないが、今回のステージもまた実に素晴らしい演出だ。

3曲目の“ボクのために歌う吟”でようやく3人が姿を現し、控え目ながら暖かい拍手が場内に立ち込めた。新田紀彰(B.)と吉岡紘希(Dr.)のリズム隊が江沼の歌に寄り添い支えるplentyのバンド・アンサンブルには、一口に語られるようなギター・ロック・スタイルのどこにも着地しない宙ぶらりんな印象を受ける。ハードコアとかガレージ・パンクとかグランジとかメタルとかいった枠組からことごとく零れ落ち、漂っている。所在ないサウンドなのに、彼らのライブ演奏はスタジオ音源をCDで聴くのと恐ろしいほど変わらない、盤石のパフォーマンスになっている。不思議な話だが、「ギター・ロックとしての所在なさ」が確固たるスタイルとして完成し、完結しているのだ。そんなplentyの音楽は、聴く者にまず「あなたと決して同じではないぼく」を突きつけてくる。
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今年リリースした2枚の素晴らしいシングルにより、江沼は強い意志をもって他者に歩み寄ろうとしている。それは間違いないのだが、一方で絶対に「ぼく」と「あなた」を同一視しないplentyは今回のステージでも健在であった。入り組んだバンド・グルーヴと液体の流動的な幾何学模様を映し出す映像が歌の中の混乱した心象を説明的に伝える“栄光にはとどきそうもない”から、《隠さないで、愛せなくていいから。/そこを埋めれば溢れる…》と歌って爆音を激しく展開させてゆく“からっぽ”へ。「ぼく」と「あなた」の距離を短絡さや嘘で塗り固めることで生じる、取り返しのつかない歪みの怖さを、plentyの歌は今でも重々承知している。どこまで近づけるのか、どんなふうに近づくべきなのか、それをいつでも血眼になって手探りで求めているメロディと歌声だから、他のすべてと一線を画しているのに観る者/聴く者を釘付けにしてしまうのだ。

「しゃべります。えー、元気ですか? ん……えっと我々、ツアー、してきました。で、今日、最後です」。ちょっと時間差があって場内拍手。オーディエンスもplentyとの距離を推し測るのに必死である。おもしろい。おもしろいというのは笑えるという意味ではなくて、plentyのライブには例えば両想いの初デートの緊張感のように、飛んだり跳ねたり歌ったりというのとは異なる、独特のインタラクティブ性があるということだ。「でも、話すこと何も決めてないんだ! なんか2人にはマイク置いてないじゃないですか。おれはいいんだよ? いいんだけど、おれが話したいから2人に話させないみたいじゃん、ってこのツアー中、何度か思いました」。珍しくメンバーの名を呼ぶ声がフロアから飛ぼうものなら「やりにくいなぁ」と零す江沼。普通だろう、それは。「話したくないわけじゃないんだよ? 話そうとは思ってて、繋がっていきたいと思うじゃん! でもなんでこう、言葉がでないんでしょう……次の歌は、届くといいな、じゃなくて、届け、という気持ちで歌おうと、今、思いました」。
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そして、面倒な想いの逡巡を抱えながらも暖かく力強い“人との距離のはかりかた”が歌われる。やはり素晴らしい曲だ。plentyのより大きな躍進を支えてゆくはずの名曲である。この後はさらに、新曲“ふつうの生活”もプレイされた。何気ない平穏を望む思いが、次第にエモーショナルに展開してゆくナンバー。これは今の日本にこそ届けられるべき歌だろう。強烈な記名性とともに訴えかける“拝啓。皆さま”。決意表明が勢いよく走る“枠”。本編最後は、現実の風景と記憶の中の光景が入り交じって届けられる詩情豊かな一遍“空がわらってる”で幕を下ろした。1時間半で17曲。筋を通しつつ成長してゆくplentyの、最高の現状報告であった。

彼らはこれまで、あまりアンコールの催促に応えたことがなかったのではないかと思うが、今回は再度登場。昨夜のうちにRO69のニュースにもアップされているとおりの→(http://ro69.jp/news/detail/53700)次回全国ツアーを告知した。そして「ワンマン・ツアーがあるんで、皆さんとまた会う約束をしようかな、と思います」。とこの日2度目の“待ち合わせの途中”をプレイしたのであった。《誰かがそうどこかで 僕のことを待ってる/あの日が呼んでいる 今はきっと待ち合わせの途中》。この一節に辿り着くまでの物語こそがplenty登場の意味であり、まだ見ぬ未来はこの約束から紡がれてゆくのだろう。少しずつだが変わってゆく。以前よりもちょっとだけ大人びて見えた、江沼のパーマ姿と同じように。(小池宏和)
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セット・リスト
1:東京
2:待ち合わせの途中
3:ボクのために歌う吟
4:最近どうなの?
5:終わりない何処かへ
6:理由
7:後悔
8:栄光にはとどきそうもない
9:からっぽ
10:明日から王様
11:大人がいないのは明日まで
12:人との距離のはかりかた
13:ふつうの生活(新曲)
14:拝啓。皆さま
15:少年
16:枠
17:空が笑ってる
EN:待ち合わせの途中 (2回目)
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