ジェイムス・ブレイク @ 恵比寿リキッドルーム

ジェイムス・ブレイク @ 恵比寿リキッドルーム - pics by TEPPEIpics by TEPPEI
ジェイムス・ブレイク @ 恵比寿リキッドルーム
こんなにも深く長い余韻を感じさせるライヴは本当に久々だった。しかもここで言う「余韻」とはしみじみと「ああ良いライヴだったなぁ~」と感慨にふけり反芻するそれではなくて、ジェイムス・ブレイクのライヴを観る前と観た後では世界が異なる、ここで感じた余韻自体が明日以降の自分のスタンダードになっていくような、そういうとんでもないものだったのである。

ジェイムス・ブレイクの初来日公演である。リキッドルームは見事にギチギチの超満員、2011年最大のセンセーションでもあった彼への注目度の高さを改めて思い知らされる。そして、この夜の彼のパフォーマンスは「今、絶対観ておかないといけない」と私達に思わせたブレイクの求心力の正体を見せつけるものになっていた。

この後に名古屋、大阪公演を控えているので詳しいセットリストに触れることは避けるけれども、デビュー・アルバム『James Blake』、そして『CMYK EP』のハイライトがぎゅっと凝縮された1時間強のステージだった。ライヴの冒頭、ステージに登場したブレイクはエレピアノに向かってひとり歌い上げる。ニューEPからのナンバー、“Enough Thunder”だ。チャントのように艶やかな波形を描きながら伸びゆく歌声。そこだけ切り取ると「ダブステップの旗手」云々の面影は全くない。ダンス、エレクトロはブレイクの表現の表皮にすぎないことを初っ端で証明したかたちだ。

ジェイムス・ブレイク @ 恵比寿リキッドルーム
2曲目の“Unluck”でサンプラーとドラマ―が登場する。そうして3人編成で始まった“Unluck”なのだが、出だしは生パーカッションの刺々しい存在感とボリュームにちょっとぎょっとしてしまった。しかし、『James Blake』冒頭のあのスムースで流麗なフォルムをぶち壊しにするようなそれが、この日の私達の体験が2Dから3Dへと移り変わる儀式であったことはその後の流れが証明していた。セカンド・コーラスで丁寧に重なり合い織り込み合っていた音が一気に決壊し、ひとり傍若無人だったパーカッションすら飲み込む洪水となってこちらに押し寄せてきた刹那、場内からはうわっ!と歓声が上がる。ブレイクの音楽が自分の内を満たしていく実感に異様な昂りを覚える。

その後もアルバム『James Blake』に通底していたムードを、エレクトロ・ミュージックとしての表皮を一枚ずつ剥がしていくようなパフォーマンスが続く。実際この日の全編を通してエレクトロ・ミュージック、ダンス・ミュージックの「機能」を感じたのは当然の“CMYK”、そして“Limit To Your Love”のアウトロの延々のシーケンス(ちなみにサビの最も盛り上がるフレーズを歌いトチったブレイク、「信じられない、初めて間違えたよ!」と目を白黒させていたのが微笑ましいヒトコマでした)くらいで、それ以外は「ジェイムス・ブレイク」という名の全く別物のジャンル、個別にして唯一の表現としか呼べないものだった。

ジェイムス・ブレイク @ 恵比寿リキッドルーム
全編を通して言えるのはとにかくブレイクの歌声が素晴らしく、彼の音楽の根本にあるのは彼の声そのものだということ。ただしそれは「エレクトロ・ミュージックなのに生声が生かされているから有機的なのだ。だから素晴らしいのだ」云々といったよくあるタイプのギミックではない。彼は自身の声をリアリティの根拠としてどこまでも生々しく響かせる一方で、時には幾重にもサンプリングしてドライな素材使いに徹したりと、自身の声の希少性と汎用性に関してすごく自由な捉え方をしているのが新しいのだ。彼の声は彼だけのものであり、しかし彼だけのものではない――そんな個と共有の曖昧な境界のメタファーとして存在するブレイクの歌声は、「なぜ今、彼なのか」の答えでもあった。

曖昧さのクリアな認識、揺らぎの活写、匿名の共有、そんないくつかの語義矛盾が脳裏に浮かんでは消えていく体験だった。一切の強制はないのに、『James Blake』を聴いた時に感じたぼんやりとしたシンパシーに輪郭が与えられ、オーダーメイドのように自分にしっくりなじんでいく感覚。それはもう殆ど、今を生きている自分を「知る」行為に近いものだったと思う。(粉川しの)
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