シガー・ロスがデビュー以来描き続けてきたひとつの世界の終わりと、そして新たな世界の始まりの両方を告げる感慨深いステージだった。昨年のサマーソニックから約9カ月ぶりの来日、単独ツアーとしては2008年以来5年ぶりとなる今回の来日、その初日となった昨夜の武道館公演は、武道館という彼らの単独史上最大スケールの会場、それをソールドアウトにした完璧な状況も相まって、バンドの集大成とある種のフィナーレ感を強く印象づけるものになっていた。
なお、今回の来日は2012年リリースの6作目『ヴァルタリ~遠い鼓動』のツアーのエンディングの意味も持っていた。今の彼らは来月には新作『クウェイカー』のリリースが控えている端境期にあって、文末のセットリストを確認していただければわかるように、昨夜も『クウェイカー』収録の新作が4曲披露されている。とは言え、この武道館のショウの基盤とムードを担っていたのは明らかに『ヴァルタリ』以前のナンバーだった。『クウェイカー』のナンバーは良くも悪くもショウの流れの中から浮いた別枠として鳴っていたと思う。今回のライヴが「終わり」であり、「始まり」だと感じたのは、だからかもしれない。『ヴァルタリ』までのナンバーを纏め上げて総仕舞いするという「終わり」と、まだ未整形で試運転的な『クウェイカー』のナンバーがうごめく「始まり」、その両方があったからだ。
定刻の19時を少しすぎたところで場内が暗転し、ステージを覆う大きな白い幕の向こう側にメンバーの姿がシルエットでひとり、またひとりと浮かびあがってくる。1曲目は新作『クウェイカー』からの“Yfirborð”。ギターと単音のピアノ、そしてストリングスが絡み合うゆったりとしたスタートだ。しかし、そのじわじわとフェイドインしていったオープニングからかなりの落差を持って、2曲目の“Ný batterí”では早くも音と光、そしてヨンシーの声が全開となる。激しいバックライトの点滅によってスクリーンには巨人の影絵のようにメンバーが大写しになり、ギターを弓弾きするヨンシーのシルエットはまるでチェインソーを振り回すホラー映画の主人公にすら見えてくる。そして“Ný batterí”が終わったところでステージを覆っていた幕が落ち、真っ赤なライティングの中に佇む大編成のメンバーの姿が初めてはっきりと目に飛びこんでくる。
ステージ上方には横長な巨大スクリーンが設置されていて、そこでは懐かしのPVやシガー・ロスらしいアンビエントな映像が絶え間なく流されていく。続く“Vaka(untitled #1)”はストリングスの重奏とホーンが主体となったナンバーで、一筋の光に照らされながらピアノに向かうヨンシーの姿まで含めて非常にシネマティックだ。新曲“Hrafntinna”はパーカッションが主体の複雑なリズミカルなナンバー。そして赤から青いライトに切り替わって始まった“Sæglópur”が、大きな歓声と共に迎えられる。凛としたピアノ・イントロから大胆な転調でバスドラとホーンがド迫力のスペクタクルを描き出すサビへ、そのシガー・ロスの十八番とでも呼ぶべきドラマツルギーに頭ぶっとばされてしまう。と、すぐさまそこに“Svefn-g-englar”が畳みかけられるのだから、もうこうなっては震えるしかない。蝋燭の灯を模した無数の小さな灯りが散らばり光る幻想的なステージで、ヨンシーの艶やかなファルセット・ヴォイスとグロッケンシュピールの硬質で美しい音色が木霊し合う様は、一気に聖歌のムードを増していく。ヨンシーの声はこの日絶好調で、“Svefn-g-englar”のアウトロではギターのピックアップに向かって歌い、即興でリヴァーヴを効かせていたのも面白かった。
“Varúð”はそんなヨンシーが「普通に歌っている」ことに逆説的に感動させられるナンバーだ。普通のフォーキーなメロディがあり、普通のポップ・ソングのような展開と、普通のバンドのようにサビでは女声のコーラスがフィーチャーされる。ロック・バンドのフォーマットから逸脱した音楽をやり続けてきたシガー・ロスがロック・バンドをやっている、今の彼らにはどんなフォーマットもタブーではないという意味での自由を感じられる。そして「ハロー、サンキュー・ベリー・マッチ、サンキュー・フォー・カミング」とヨンシーが言って始まったのは“Hoppípolla”で、これがこの日最初のクライマックスとなった。赤、青、そして黄金の粒が飛び交い、ぶつかり、破裂するジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングのような映像も圧巻だったが、ヴァイタルでエネルギッシュ、「生命の喜び」とでも題したくなるような演奏が繰り広げられる。しかもヨンシーはなんと両手を広げ、客席に向かって手拍子を促している! あのヨンシーが、あのシガー・ロスが、こんなにもストレートに、「ロック・バンドのように」オーディエンスとこの場を祝福し合う光景を私は初めて観た気がする。
そんな“Hoppípolla”にも象徴されるように、この日のシガー・ロスのステージは彼らにこんな形容を使うのは若干躊躇するけれど、それでも語弊を恐れず言うならば「ヒット・チューン連発」の豪華なロック・バンド・ショウだった。それは昨年のサマーソニックのステージにも感じたムードで、当時の私はそれを「シガー・ロスと2000年代の大団円を見守るようなステージ」だったと書いた。でもそれはフェスという非日常の空間が生んだ効果であって、一夜限りの夢のようなものだったのかも…とも思っていた。しかしあれから9カ月が経ち、再び相まみえた彼らのステージを観てそれは確信に変わった。そう、彼らははっきりと大団円を描こうとしていたのだ。『Takk…』以来のホーンとストリングスの多用、『残響』と『ヴァルタリ』で極めたメロディと言葉と、どんどんタブーを無くし、俗世への扉を開き、「ロック・バンド」になっていった近年のシガー・ロスの歩みの過程を辿るような、アクセシブルなセットリスト、そして開放的なパフォーマンスが昨夜の武道館にはあった。
そしてそのアクセシブルで開放的なヒット・チューン連発のショウの中で「違和感」として鳴っていたのが例えば“Kveikur”のような『クウェイカー』のナンバーで、インダストリアルでエレクトロ、ひょっとしたらヘヴィメタルと呼んでも差し支えないかも……と思えるようなスーパー・マッシヴなこの新曲は、タブーを滅してロック・バンドたる美観を完成させた『ヴァルタリ』のシガー・ロスを再び突き崩すようなプリミティヴな衝動も感じさせるものだった。たぶん、次のツアーでは激変したシガー・ロスを観ることになるんじゃないかと思った。
今回のショウのヒット・チューン大盤振る舞い的なゴージャスさは、シガー・ロスの激変、リセットの直前の爛熟期ならではのものだったのかもしれない。アンコールのラストは15分以上の圧巻のプレイとなった“Popplagið(untitled #8)”で、ヨンシーは身をよじりながら(!)ローポジで(!)激しくギターをかきむしっている! こんなロック・バンドのロック・ギタリストみたいなヨンシーも初めて観た。完全燃焼、そんな言葉が相応しいフィナーレだった。(粉川しの)
Yfirborð
Ný batterí
Vaka
Hrafntinna
Sæglópur
Svefn-g-englar
Varúð
Hoppípolla
Með Blóðnasir
Olsen Olsen
Kveikur
Festival
Brennisteinn
(encore)
Glósóli
Popplagið