「やばいな。今日、最高のスメルがし始めてるな。こういうのかな、グルーヴって。俺、これだけ音楽やってきて今までグルーヴって感じたことないんだけどさ。これってグルーヴだと思うよ!」 最初の長いMCで須藤が冗談混じりにそう語ったとおり、異様なまでのグルーヴ・コントローラーぶりを見せつけてくれた今日の髭ちゃん。その最大の要因は、やはり昨年末より7人目のメンバーとしてバンドに加わった佐藤謙介(from踊ってばかりの国)だ。非常にタイトでありながら、あの強力なトリプル・ギターを支えるに見合うだけの馬力も兼ね備えた彼のプレイは、やけっぱちの勢いも「個性」というエクスキューズも必要としない純粋な演奏集団へと髭ちゃんを引き上げたと思う。特に、“ロックンロールと五人の囚人”や“黒にそめろ”、“寄生虫× ベイビー× ゴー!”といったファストなロックンロールの見違えるような迫力は特筆すべきものだった。
一方、佐藤謙介にメイン・ドラムを託したコテイスイとフィリポはというと、コテイスイはサポート的なセカンド・ドラム、フィリポはタンバリンなどパーカッション類をそれぞれ主としつつ、旗を振りまわしたりハンドクラップを煽ったり踊り狂ったりと、終始自由に立ち振る舞っていた。髭ちゃんが「新しく生まれ直す」のではなく「今までの髭のまま良くなる」ことができたのも、彼らがこれまで通りの笑顔でステージにいることを選んだからだ。アイゴンのギターがニルヴァーナ・ライクなリフで暴れ倒すヘヴィーなアレンジによって、倦怠しつつ覚醒していくようなフィーリングが宿った“Acoustic”で、あれだけ別モノになりながらこれまで通り≪このメッセージ聞こえるかい?≫の大合唱がフロアに巻き起こったのも、そうした「髭が髭であり続けるための高い意識」と無関係ではないと思う。拡声器片手に動きまわるコテイスイにフロアから声援が沸いたことに対し、「コテイスイが格好良い? それは何かの間違いだよ!」と毒づく須藤の言葉にも、どうにも愛がこぼれていた。
他にも、歌謡的なメロディでまたも新境地を切り拓いた“サンデー・モーニング”、はたまた髭ちゃんお得意ヴェルヴェッツ印のサイケ・ナンバー“ホワイトノイズ (Tokyo)”、アルバムだと前に置かれた“地獄”の壮絶な名曲っぷりに隠れがちなものの非常にライヴ映えすることが分かった“スローリーな地獄”などにおいても、それぞれフロアからは地鳴りのような歓声が上がり、さながら『QUEENS, DANKE SCHÖN PAPA!』が髭ちゃんが手にした何枚目かの大傑作であることをファンも正しく認め祝福しているようであった。
ある意味でフロアの興奮が本日のピークを刻んだのが、3rd『PEANUTS FOREVER』からの“MR.アメリカ”。というのも、曲入りのMCで須藤が「アメリカに行きたいかー!」と叫んだと思えば、米国旗柄のヘルメットを被りおもむろに前に出てきたコテイスイに対し、「背中からのやつじゃなく、前からロケットみたいに勢い良くね!」とロケット・ダイブを推奨したのだ。二の足を踏むコテイスイに対し、一気に沸くフロア。ちなみに、もちろんコテイスイに○か×かの選択権があり(元ネタのアメリカ横断ウルトラクイズに則り)、ここまでのツアーでは前回にあたる名古屋公演以外全て飛ばなかったらしい。飛ぶのか、飛ばないのか、フロアの視線を一身に浴びる中、イントロが鳴り出し、コテイスイは…飛んだ! 前のめりに、高々と。しかも、スタッフに降ろされた後も、自らさらに2度、左右の端から長々クラウドサーフをしていた。Tシャツを無数の手によりズル剥けにされながら。
今日何より実感させられたのが今の髭ちゃんの名曲コレクターっぷり。演らなかったライヴ定番曲もいくつもあるはずなのに、全く不足を感じさせない、次から次と空気の異なる名曲が飛び出すライヴだったのだ。そして、そんなソングリストの中でも間違いなくトップクラスにランクインするであろう新たなアンセムこそ”ハリキリ坊やのブリティッシュ・ジョーク2”である。今日一番の感動的なヴァイヴを生んだこの曲の凄みはなんといってもそのメロディ。フレーミング・リップスを彷彿とさせるドリーミーな曲調(蛇足だがそういえば終演後の客出しSEは”Race for the prize”だった)から一転して後半一気に壮大な展開を迎えるこの曲のメロディのスケール感は、明らかにこれまで髭が手を出さなかった領域にあったものだ。『サンシャイン』でいくつか獲得した60年代のポップ・クラシックのような曲達とも趣を異にする、まさしくスタジアム・ロック・アンセムの風格がこの曲にはある。それは、唯我独尊天衣無縫、素敵に無敵なロックンロール・バンドとして登場した髭ちゃんが10年のキャリアの中で酸いも甘いも噛み分けた大人のロック・バンドになったことを表しているのかもしれない。だからこそ、自分たちが孤独でいられないことを認め、人を繋ぐこと=ポップであることに目を逸らさず、こんなにも感動的な曲を書くことができたのだ。10年の間に失ったものも数知れずあっただろう。しかし、代わりに得たものの大きさもまた計り知れないはず。≪乾いた夜に湿った空気が坊やと共に空にのぼって 雪になる 雪になる 夢が 雪になる ブリザード≫ 恐らくは若き日の夢や野心の瓦解をモチーフにしたであろうこんな悲しい歌を、あんなにも幸福に鳴らし歌える髭というバンドは、傷付いてなおただただ美しい共同体だった。(長瀬昇)