スリップノット、ポール・グレイの薬物との関わりについて遺された妻が語る

スリップノット、ポール・グレイの薬物との関わりについて遺された妻が語る

2010年5月にアイオワ州アーバンデイルのホテルでモルヒネの過剰服用で急死したスリップノットのポール・グレイの遺された妻がポールの薬物問題についてバンドの誰もポールと向き合ってくれなかったと語っている。

ポールは急死のひきがねとなったモルヒネとモルヒネ化合物を主治医のダニエル・バルディから入手したとされていて、バルディはポールのほか計8名の薬物死に関わっているとして現在公判中だが、今回のポールの妻の発言は公判での証言として明らかになった。

もともとポールは先頃脱退が明らかになったジョーイ・ジョーディソンとショーン・クラハンとともにスリップノットを1995年に結成したが、38歳だった4年前の5月にホテルで急死したところを発見された。それまでも薬物中毒に陥った過去があったポールだが、妻のブレンナ・グレイは死の一週間前に注射器の針を発見していたことを次のように証言している。

「自宅で針を初めて発見したのはポールの亡くなる一週間前でした。それまでの数年でも針を見たのは初めてのことでした。引っ越して来た時にわたしは針をすべて廃棄していたからです。廃棄したのは針を自宅でみかけた前のことです。それで主治医に『ポールが針を使っているようなんだけど』と相談したところ、医者はポールがよく薬物を静脈注射していた手を確かめました。手はだから注射の痕だらけでした。それから医者はポールの腕を確かめました。でも、足は確かめませんでした」

ブレンナはバルディ医師に足に注射痕がないか確かめるように要請していたにもかかわらず無視したと語っている。また、バルディ医師はポールの診療の際には必ず薬物検査を行っていたとブレンナに伝えていて、死後、その検査結果が何度も陽性であったことが判明し、さらにバルディ医師はかつてポールが濫用した経験したことのある抗不安剤のアルプラゾラムをポールに処方し続けていたことが明らかになったとブレンナは証言している。さらにバルディ医師はポールにアルプラゾラムとアヘン化合物依存症治療薬であるブプレノルフィンをツアー中に処方していたとブレンナは語り、ポールの死の数か月前からやがてアルプアゾラムの使用量が減り始めていたとブレンナは証言している。

「死ぬ一週間前にはトイレで流したつもりの針が浮いたままになっているのを発見していました。それから土曜日に(家族と)家探しをしてみると、未使用の針を一袋発見して、その同じ日に使用済みの針も探し出しました」とブレンナは証言している。

針を発見するとブレンナはバルディ医師、バンドのマネージャー、そして自分の母にまずは連絡を入れたが、バルディ医師とは直接、話はしていないという。また、自身が妊娠中だったこともあり、その後、親権を剥奪されかねないことを案じて警察に通報することも避けたという。

また、ブレンナは意識を失った状態のポールの写真をバルディ医師に見せ、さらにスリップノットのメンバーにも接触してポールを説得するように助けを求めたが、協力を拒まれたと語っている。

「メンバーの一人はわたしたちの自宅から2分ばかりのゴルフコースにいましたが、行けないと言われました。誰も心配してくれなかったし、関わってもくれませんでした。みんな、わたしがどうにかしろと言いました」とブレンナは語っている。その2日後、ポールは急死した。

なお、公判には今後、コリィ・テイラーとショーン・クラハンが証言者として出廷する予定があるという。バルディ医師は有罪になった場合、最高で18年の禁固刑を受ける可能性があるが、ポールに死因となった薬物の提供については否定している。
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