ラモーンズのトミー・ラモーン亡くなる

ラモーンズのトミー・ラモーン亡くなる

ラモーンズのオリジナル・メンバーで唯一の現存メンバーとなっていたトミー・ラモーンが7月11日にニューヨークのクイーンズ区リッジウッドにある自宅で息を引き取ったという。トミーは胆管がんにかかっていて末期医療を受けていた。享年62だった。

ハンガリーのブタペスト出身で、本名をエルデリ・ターマスといったトミーはラモーンズの特に画期的だった初期3枚、1976年の『ラモーンズの激情』、77年の『リーヴ・ホーム』、同年の『ロケット・トゥ・ロシア』までバンドのドラマーを務め、『リーヴ・ホーム』と『ロケット・トゥ・ロシア』では共同プロデューサーを務めることにもなった。その後、ツアーに憔悴したトニーはメンバーからは辞退し、プロデューサーに専念することになり、79年のライヴ盤『イッツ・アライヴ』などを手がけることにもなった。

トミーのドラムはその後、マーク・ベルことマーキー・ラモーンが引き継ぐことになり、トミーは「エルデリ」としてラモーンズの1984年の『トゥー・タフ・トゥ・ダイ』などの共同プロデュースを引き続き担うことになった。

トミーは1957年にアメリカに移住し、クイーンズ区フォレストヒルズで育ったが、高校時代にジョン・カミングスことジョニー・ラモーンとタンジェリン・パペッツというガレージ・ロック・バンドを組んで活動していた。その後、工学科を出たトミーはレコード・プラントやそのほかのスタジオでエンジニアとして働くようになり、レコード・プラントでは1969年にジミ・ヘンドリックスのセッションにもアシスタントとして参加した。

その一方でジョニーはダグラス・コルヴィンことディー・ディー・ラモーンとジェフリー・ハイマンことジョーイ・ラモーンと三人でラモーンズを結成することになり、トミーは当初、バンドのマネージャーを請け負うことになった。しかし、ディー・ディーとジョーイとの間でヴォーカル担当を模索していくうちにもともとジョーイの担当だったドラムが空席になってしまい、オーディションも行ったものの、結局は誰よりもドラムの基礎ができていたトミーが担当することになった。

その後、マクセズ・カンザスシティやCBGBなどといったニューヨークのクラブで注目を浴びるようになり、リチャード・ヘル、トーキング・ヘッズ、デッド・ボーイズらを抱えていたサイアー・レコードとの契約に1975年にありつくことになった。バンドは1996年に解散し、01年にはジョーイはリンパ腺腫がもとで他界し、ディー・ディーは薬物の過剰摂取で02年に急死、ジョニーは前立腺がんのため04年に他界していた。バンドは02年にロックンロール名誉の殿堂入りを果たしていた。

トミーはほかにもザ・リプレイスメンツの1985年の『ティム』やレッド・クロスの87年の『Neurotica』でのプロデュースでも知られていた。晩年ではカントリー・アンド・ウェスタンに傾倒するようになり、パートナーのクラウディア・ティーナンとアンクル・モンクというデュオ・ユニットで活動していた。

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