イアン・カーティスの妻デボラ、イアンの死後に「怒りと屈辱」を感じたと明かす

イアン・カーティスの妻デボラ、イアンの死後に「怒りと屈辱」を感じたと明かす

1980年に自殺したジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの妻デボラ・カーティスは、イアンの死の直後にリリースされた"ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート"が自分について書かれた曲だったと伝え聞かされて「怒りを感じ、侮辱されたと感じた」と語っている。

デボラは音楽評論家のジョン・サヴェージとともにイアンの歌詞と創作メモなどをまとめた新刊『So This Is Permanence: Ian Curtis, Joy Division Lyrics and Notebooks』の監修を務めている。本書は10月16日に文芸書の名門として知られるフェイバー・アンド・フェイバー社から刊行されるが、この本の序文の中でデボラは当時のことを振り返ってみせている。

デボラはイアンとの生活が大きく変化したのはイアンが癲癇だと診断されてからだと振り返っていて、「家ではなにかと絡むようになってきて、まるで病気についてわざわざ言えば言うほどそれが真実味を帯びてくると思い込んでいるようだった」と語っている。また、デボラはイアンが病気のことをどのようにして自分の創作やパフォーマンスの中に落とし込んで行こうとしたかを明らかにしている。そして「ロブ・グレットン(ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーのマネージャー)から"ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート"が自分のことだと聞かされた時にわたしはなにを感じたか? 怒りと侮辱だった」と明らかにしている。

さらにデボラは「そうではないと証明したくてわたしはイアンの残した原稿を漁った」、「自分の人生で起き始めていたことをなんとかして食い止めようとする重圧のせいでイアンは核の部分で捻じれて歪んでしまったのかもしれない」と続けている。

また、この序文の中でデボラはイアンと初めて会った時にイアンが「マスカラをつけて、タイトなデニムとフェイク・ファーのジャケットを羽織っていた」ことや、イアンの日記を死後見つけた時のことなども回想している。

なお、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーも先頃回想録『Chapter & Verse』を刊行しているが、2007年に脱退したピーター・フックはこの本の内容が「残忍で意地の悪い」ものになっていると批判している。

(c) NME.COM / IPC Media 2014

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