アダム・ランバートとフレディ・マーキュリーのセクシャリティをB・メイ、アダムが語る

アダム・ランバートとフレディ・マーキュリーのセクシャリティをB・メイ、アダムが語る

今年のサマーソニックでヘッドライナーを務め、1月には大々的なイギリス・ツアーを控えているクイーン+アダム・ランバートだが、バンドはアダムが加わってからのクイーンについて語っている。

前回の再結成ではバッド・カンパニーのポール・ロジャースがヴォーカルを務めることになったが、今回ヴォーカルを務めているアダムは高音の伸びが抜群によいことと、自身がゲイであることをおおっぴらにしていることからもフレディ・マーキュリーにより近いイメージとパフォーマンスをバンドにもたらしているとこれまでブライアン・メイやロジャー・テイラーは語ってきている。

母国イギリスのオーディエンスも特にそこは注目するところだろうが、ザ・ガーディアン紙の取材にブライアンは「アダムとだとやれないクイーンの時期はもうないんだよ」と説明していてアダムがどれほどのものかは3曲聴いてもらえばそれでわかってもらえているようだと説明している。

「見ててわかるんだよ。みんな考えてるはずなんだよね、『こいつにこの大役はこなせるのかな?』ってね。たとえば、この間も『Xファクター』に出演した時、("愛にすべてを"の)最後のあの高音まで歌い切ってくれるとまではぼくたちも思ってなかったんだよね。あの厚いコードを弾きながらアダムの歌の成り行きを聴いてぼくは思ったよ、『えっマジ? ちょっとヤバくない?』ってね。それから『すんげーな! 歌い切っちゃったよ! たいした度胸だぜ!』ってなったんだけどね」

さらにアダムのキャラクターについてブライアンは次のように説明している。

「アダムがおねえっぽいところを見せるとしたら、それはアダムがそうだからってことなんだ。フレディになろうとしてやってることじゃないんだよね。フレディは精神的な意味でも、肉体的な意味でも今のライヴでは存在してるし、みんなにもそれはわかってもらえてるんだよ」

その一方でアダムはフレディのキャラクターについて次のように語っている。

「フレディが80年代にはすごくマッチョなイメージを打ち出してたのはなかなか面白いなと思うんだ。なかにはそうやって折り合いをつけていたんだろうって言う人もいるけど、ぼくはあれはフレディなりの進化だったんだろうと思うんだよ。これはブライアンが言ってたことなんだけど、"神々の業"はゲイだと公に表明できないことへのフレディの欲求不満を表現していたんじゃないかってことなんだ。『とっても簡単なことなのにできないんだ/すごく危なっかしいことなのにどうしてもやってみたいんだ/とってもおかしいことなのに笑うべきことは実は全然ないんだ』っていう歌詞になってて、ぼくはもうとっくにそこは通り過ぎてるからね。ぼくたちは今やもうポスト・ゲイ時代を生きてるわけで、誰ももう気にしてることじゃないんだけど、ぼくはぼくなりに5年前に活動を始めた頃からそういう努力はしてきたつもりだよ。特にメディアをうまく渡り歩いていくのはなかなか危なっかしいもんだからね。だから、(フレディが生きていた)当時はどれだけ大変だったんだろうっていうことはもうほんとにわからないことだよね」

その一方でブライアンはバンドとフレディのキャラクターについてはフレディが生きていた頃の方がむしろ楽だったかもしれないとも語っている。

「アダムが『アメリカン・アイドル』での優勝において反ゲイの連中からケチをつけられそうになってたことは忘れちゃいけないことだと思うよ。それに較べると、ぼくたちはタブロイド紙に追っかけられることはほとんどなかったんだ。ぼくたちはパフォーマンスをやる時には公的な存在になって、そうでない時にはプライヴェートを守ることが許されてたんだから。メロディ・メイカー誌の記者から一度フレディがゲイかどうか訊かれたことがあって、フレディは『たんぽぽのようにゲイ(陽気)だよ』とだけ答えて、それで済まされちゃったんだからね」

また、ロジャーはアダムに感じる頼もしさを次のように買っている。

「ぼくはぼくたちのおねえっぽいキャラクターに対して、昔から暗黙の、目に見えない抵抗勢力があるように感じてきたんだ。でも、アダムは自分のセクシュアリティについて完全にはっきりさせてるし、それがぼくたち全員に大きな自由をもたらしてくれてるんだよ。おまけにほんとにおかしなやつだから誰も怒る気にもなれないし、怒るような人はそもそもぼくたちのことを観に来るべきじゃないんだよ」

"愛にすべてを"はこちらから。
https://www.youtube.com/watch?v=kijpcUv-b8M

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