ザ・ランナウェイズのメンバーを発掘し結成を導いたことで知られるプロデューサーのキム・フォウリーが1月15日に他界した。享年75だった。キムは長く膀胱がんとの闘病を続けていた。
キムは60年代から70年代にかけてジーン・ヴィンセント、キッス、アリス・クーパー、レオン・ラッセル、ジョナサン・リッチマン、ザ・モダン・ラヴァーズらのプロデュースや共同作曲を行ったことで有名で昨年もアリエル・ピンクとアリエルの最新作『ポン・ポン』でコラボレーションを行っている。
キムは全員女子のバンドを組んでみたいという構想を練っていた1975年、まだ10代だったジョーン・ジェットと出会い、やはり女子バンドを組んでみたがっていたサンディ・ウェストと引き合わせ、二人はやがてユニットを結成。キムはさらにヴォーカルのシェリー・カーリー、リタ・フォード、ジャッキー・フォックスをこのバンドに誘い、ザ・ランナウェイズの結成となった。基本的にバンドは自分たちで楽曲を書いて演奏していたが、バンドにとって最大のヒット曲となった"チェリー・ボム"はキムとバンドで共同で書き上げた楽曲だった。その後、キムはランナウェイズの結成について次のように語っていた。
「別にぼくがランナウェイズの結成を仕掛けたわけじゃないんだ。ぼくにはアイディアがあって、彼女たちにもアイディアがあって、ぼくたち全員が出会って、そこで爆発して、5つあったバンドのヴァージョンから残ったのがみんなが気に入ってくれたヴァージョンなんだよ」
その後、バンドのマネジメント手法などについての意見の相違から、キムはバンドから離れることになった。キムはそのほかにもプロデューサーとして1960年にはダラス・フレイジャーの楽曲"アリー・ウープ"を自身が指揮していたセッション・グループ、ザ・ハリウッド・アーガイルズにカヴァーさせ、チャート1位に輝かせ、また、1962年にはキムがプロデュースしたビー・バンブル・アンド・ザ・スティンガーズの"ナットロッカー"がイギリスのチャート1位を獲ることになった。"ナットロッカー"はその後、エマーソン・レイク・アンド・パーマーがライヴでもよく取り上げる曲となり、ライヴ盤『展覧会の絵』にも収録されている。
また、ライヴ盤『平和の祈りを込めて~ライヴ・ピース・イン・トロント』の内容となったトロントのイヴェントにジョン・レノンを呼び寄せるのに成功させたのもキムの手腕で、この時、ジョンをステージに迎えるにあたって、キムはライターやマッチを灯すように観客に呼び掛け、ロック・コンサートでのこうしたことの初の事例となったことでも知られている。
Eストリート・バンドのスティーヴ・ヴァン・ザントは次のようにキムを偲んでいる。
「キム・フォウリーの訃報は俺には大損失だよ。いい友人だった。ほかにはいないタイプだよ。どこにでも関わってたこともあれば、なんでもやったことがあって、誰のことをも知ってるっていうね。先週までアンダーグラウンド・ガレージ(スティーヴンが運営するラジオ局)で仕事をしてくれてたんだ。俺たちはみんなあれくらい精一杯生きなきゃだめなんだよ。俺はラジオには一人称で語れるようなDJがほしかったんだ。キムはそのコンセプトを現実にしてくれる究極の人物だったんだ。ロック・ジプシーのDNAってやつだよ。そわそわしてきたらすぐにでも自分を作り変えていくんだよ。いつもそれをやってたね。史上最高のキャラクターの一人だった。もはや不世出だね」
さらにアリエル・ピンクやスカイ・フェレイラなどが次のようにキムを追悼している。
アリエル・ピンク「R.I.P.(ご冥福を)キム・フォウリー。言葉などいらない。奥さんのカラのためお祈りを捧げます。キムの音楽と生き方と精神はこれからもインスピレーションとなっていくだろう。キムhttps://twitter.com/arielxpink/status/555890192045723649」
スカイ・フェレイラ「唯一無二のキム・フォウリーの訃報に呆気にとられています。14歳の時、初めてのお仕事がキムとのお仕事になるかもしれなかったの。当時、髪の毛が緑色で。3時間くらい電話で話し合って、もう最高に頭のおかしいような、でも面白い話をいくつもしてくれた。ものすごくインスピレーションと才能に溢れた人だった。いつまでも惜しまれます」
ニッキー・シックス(モトリー・クルー)「R.I.P.キム・フォウリー。70年代に一緒に企業化した音楽が崩壊しないかって話し合ったのが楽しくてしようがなかったよ。俺にとっては恐れを知らないオリジナルな人物だった」
カレン・オーモリ(元スミス・ウェスタンズ)「R.I.P.キム・フォウリー。https://www.youtube.com/watch?v=vD5fpttFqKk(1978年のキムのソロ作品『Living in the Streets』からの"Motorboat")
マーク・ライリー「キム・フォウリーは『変なミュージシャン』と影のある業界人の組み合わせをそのまま生きた人だと思う……でも、素晴らしいレコーディングの数々を後押しした人でもあるんだ」
メアリー・アン・ホッブス(DJ、音楽評論家、BBCラジオのDJ)「https://twitter.com/maryannehobbs/status/556056060512186369」
ザ・トワイライト・サッド「キム・フォウリーには2007年に会ったんだ。その時にモグワイとのスチュアート・ブレイスウェイトやバリー・バーンズとも親しくなったんだよ。R.I.P.キム」
ハー・マー・スーパースター「ぼくがキム・フォウリーに会った時、その同じ部屋でマイケル・シャノンがキム・フォウリーに扮していたんだよ。不思議な瞬間だったね。R.I.P.」
アントン・ニューカム(ザ・ブライアン・ジョーンズタウン・マサカー)「安らかにお眠りください。キム・フォウリーさま」
エディ・アーゴス(アート・ブルート)「モンド・デコ、アート・ロック亡命者、クローンがはびこる世界で果敢に大胆に生きた……R.I.P.キム・フォウリー。一番好きな曲は"Motorboat"かな」
クレム・バーク(ブロンディ)「ブルース(・スプリングスティーン)のライヴでキムとスティーヴと過ごした楽しい一時。この惑星からキムがいなくなってしまったなんて信じられないよhttps://twitter.com/clem_burke/status/555918507473653761」
ノー・エイジ「キム・フォウリー。いなくなって寂しくなるだろうな……」
ジョーン・ジェット「キムは友達だった。あまりにもたくさんのことを教えてもらった。とても悲しい」
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