スマッシング・パンプキンズにジミー・チェンバレンが4度目の復帰

スマッシング・パンプキンズにジミー・チェンバレンが4度目の復帰

7月からマリリン・マンソンとのジョイントでジ・エンド・タイムス・ツアーに乗り出すスマッシング・パンプキンズだが、オリジナル・ドラマーのジミー・チェンバレンが4度目の復帰を果たしていることが明らかになっている。

バンドは昨年新作『モニュメンツ・トゥ・アン・エレジー』をリリースしたが、この作品のレコーディングの時点ですでにこれまでのラインナップからはビリーとジェフ・シュローダー以外が全員脱退していて、ビリーがベースとキーボードも担当しつつ、ドラムはモトリー・クルーのトミー・リーが担当することになった。その後のツアーでは、ザ・キラーズのマーク・ストーマーがベースを、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのブラッド・ウィルクがドラムを務めることになった。今回のツアーではベースにジャック・ベイツがあたり、そしてジミーの再加入が発表されたが、ビリーは声明で次のように抱負を語っている。

「超ハイオクなセットをやるのにジミーがまた戻ってきてくれて嬉しいよ。それにスマッシング・パンプキンズの周りが新しくきらきら光っている様子を見るのも嬉しいね」

なお、今回のジミーの加入についてビリーは次のようにUSAトゥデイ誌に語っている。

「気がついてみたら、(ドラムの)候補が誰もいないという状況に立たされていたんだよ。というのも、誰でもいいから捕まえてきて『このスマッシング・パンプキンズの曲を叩いてくれ』っていう注文をつけるのは無理な話なんだよね。ジミーのドラムはとてつもなく技量を要求されるし、しかもニュアンスもすごく微妙なものだから、バンドに入ってドラムを任せられる人はほんとに一握りしかいないんだよ」

ジミーはビリーとジェイムス・イハとダーシー・レッキーとともにスマッシング・パンプキンズを結成し、1991年のファースト『ギッシュ』、93年の『サイアミーズ・ドリーム』、95年の『メロンコリーそして終わりのない悲しみ』と、スマッシング・パンプキンズの代表作といってもいい初期3枚のレコーディングにも参加した。しかし、96年の『メロンコリー』のツアー中にニューヨークでジミーとキーボードのジョナサン・メルヴォインがヘロインの過剰服用に陥り、ジョナサンはそのまま死亡し、ジミーは違法薬物所持の容疑で逮捕。ツアーの続行を決めたバンドは数日後にジミーの解雇を発表した。98年の『アドア』はジミー抜きでよりエレクトロニックなアプローチで制作されたが、00年の『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド』でジミーはドラムに復帰。しかし、バンドは『マシーナⅡ』を同年リリースし、いったん解散した。

その後、ジミーはビリーの新バンド、ズワンにも参加したが、2007年のスマッシング・パンプキンズの再結成にも参加し『ツァイトガイスト』をリリース。しかし、09年にビリーはジミーがまたしても脱退したことを発表。ジミーは脱退が自分にとっては「前向きな選択だった」と声明で説明し、「自分が充分に持てないものについて自分のすべてのエネルギーを注ぎこむ気持ちになれなくなったんだ。本当はそうじゃないのになにかに情熱を注いでいてるふりなんか俺にはできないんだ」と脱退のわけを説明していた。一方、ビリーはこの時のジミーの脱退について「自分が健全じゃなかったり、健全じゃない人が周りにいたりすると、ぼくは自分のクリエイティヴィティの最高到達点まで行けないような気がするんだよ」とローリング・ストーン誌に説明していた。
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