昨年11月にチェスター・ベニントンがリンキン・パークの活動に専念したいとヴォーカルを辞退したストーン・テンプル・パイロッツだが、ディーン・ディレオは一般公募中の新ヴォーカルに求めるものを明らかにしている。
ストーン・テンプル・パイロッツはもともとスコット・ウェイランドがオリジナル・ヴォーカルを務めてきたが、再結成後の2012年にバンド運営をめぐりスコットとディーンらが対立し、13年にバンドはスコットの追放を発表。スコットはみずからのソロ・バンドと活動を継続することになり、ストーン・テンプル・パイロッツには新ヴォーカルとしてリンキン・パークのチェスターが迎えられ、チェスターは両バンドのかけもちで活動を続けることになった。
しかし、チェスターは自身の活動の本分はあくまでもリンキン・パークにあることをかねてから明らかにしていて、リンキン・パークとストーン・テンプル・パイロッツとの両立が難しくなったため、昨年11月にストーン・テンプル・パイロッツからの離脱を表明することになった。そのひと月後、自身のバンドを率いてツアー中だったスコットが薬物の過剰服用のため急死した。
その後、バンドはオフィシャル・サイトで新ヴォーカルの一般公募オーディションを行うことを発表しているが、ディーンは新ヴォーカルに期待するものやスコットについてローリング・ストーン誌にあらためて語っている。
結局、辞退してしまったチェスターについてディーンは次のように語っている。
「チェスターとの状況では、やりたいと思うことをしっかり追求できないということに気がついたんだよ。もちろん、チェスターのリンキン・パークとの活動と、チェスターの家族もあるわけだから、俺たちと一緒にいる時間がかなり制限されてしまうんだね。ただ、これだけはいっておきたいんだけど、ベニントン氏は自分の持てるものはすべてこのバンドに注ぎ込んでくれたんだ。チェスターのことは心から愛してるよ。チェスターがこのバンドにもたらしてくれたものについてはあらゆるレヴェルで気に入ってたんだ。ライヴでも毎晩、今日このまま死ぬんじゃないかっていうくらいの勢いで声を出してくれてたからね。でも、時間的な制約のせいで、俺たち全員が望んでいるような形で活動できていないことは明らかだったんだ」
その後、数か月にわたってさまざまなヴォーカリストとセッションを試みたというが、万が一でも自分たちのバンドに一番ふさわしい才能が見過されることがあってはいけないという気持ちから、一般公募によるオーディションにも踏み切ったとディーンは説明している。
「よくも悪くも、とにかく堰を開けたということなんだ」とディーンは語っているが、もしこの人という人物に出会うことになったら、「そいつが口を開く前に、部屋に入ってきただけでこいつだってわかるはずだよ。俺たちは自分たちを揺さぶってくれるような人物を探してるんだよ」とも説明している。
また、スコットの死については次のように語っている。
「ほんと悲しいよ。もう最悪だよな。スコットとはここ数年間はもうほとんど連絡も取ってなかったんだけど。でも、頭には浮かんでくるし、毎日なんとなく思い出してるんだよね。でね、悲しいっていった時には、たとえば、エリック(・クレッツ)とか、ロバート(・ディレオ)とか、俺が悲しいっていうことをいってるんじゃないんだよ。俺たちはもう離婚して、スコットとはもう二度と仕事をすることもないはずだったんだ。だけど、本当に途方に暮れてしまうのは、俺たちには全員子供がいるってことなんだよ。スコットはこの先、自分の娘や息子が学校のダンスパーティーに初めて出かけるのを見届けたり、息子に縦列駐車の仕方を教えてやったりすることができなくなっちゃったんだよ。それを考えると本当にしんどいんだよね」
「まあ、ここでもし俺になんか自慢でもしろっていうんだったら、それは俺が歴史上、最も偉大なロック・ヴォーカリストのひとりと関係があったということになるよ。最も偉大なヴォーカリストと一緒にレコードを作るという、贅沢と幸運に恵まれることになったんだ。俺の奥さんは車のラジオを絶対につけっぱなしにするっていう癖があるんだけど、おかげで俺が車を使うといつもエンジンをつけた途端にラジオが鳴り出して、最近じゃそこでSTPがしょっちゅうかかったりするんだよ。すると『ああ……』って感じなんだ。毎日思い出すし、思い出す時は、力がみなぎってて、活き活きしてて、希望に満ちてた頃のスコットで、クリエイティヴィティとインスピレーションが電光石火のように火花を散らしていた、そんな時期のスコットなんだ」