2月24日にロンドンのO2アリーナで開催されたブリットアウォーズ授賞式で、元ユーリズミックスのアニー・レノックスや俳優のゲイリー・オールドマンらがデヴィッド・ボウイへの追悼スピーチを行った。
授賞式ではデヴィッドにブリット・アイコン賞が授与され、それと同時に特別に追悼セクションが披露された。プレゼンターとしてアニーが紹介を行った後にゲイリーが追悼スピーチを読み上げ、その後、デヴィッドのリアリティ・ツアー時のバック・バンドがロードとともに追悼パフォーマンスを行った。アニーは紹介の言葉で次のように振り返った。
「デヴィッド・ボウイの突然の訃報には世界中が震撼しました。この予期せぬ悲報については誰もがまだ受け止めきれていないのだろうとわたしは思います。個人的にデヴィッドを知らなかった人でもきっともうなにかが永遠に変わってしまったと感じているはずです。デヴィッドにはそういう特別な重要さがあったのです。
わたしにとってデヴィッド・ボウイという名前を過去形で語るのはありえないことなのです。デヴィッドがアーティストとして体現していたものはすべて、これからもいつまでも力を持つはずですし、とてつもなく現代的なものとして通用するはずです。先端を行っていた天才的なアーティストとして、デヴィッドはその音楽を通してこれからも生き続けるのです。デヴィッドのような人は誰一人としていませんでした。真にユニークな存在でした。デヴィッドが残したとてつもないサウンドとヴィジョンは地球が自転を続けている限り、称えられ愛され続けていくことでしょう」
ゲイリーはデヴィッドが受賞したブリット・アイコン賞を遺族の代理として受け取り、次のようにスピーチを行った。
「デヴィッドはアイコンという言葉の語義そのもので、生きたままそれを体現する人でした。最近ではデヴィッドは音楽について、あるいはその作業工程について滅多に語らなくなっていましたが、でも、稀な機会においては、優雅にかつ雄弁に次のように解き明かしていました。『音楽はぼくに40年以上にもわたってとてつもない経験をもたらしてきてくれたんだ。音楽があったからぼくの人生から痛みや悲しい出来事がなくなったとまではいえないけれども、でも、自分が孤独だった時にたくさんの交遊の機会をもたらしてくれて、自分が人々と触れ合いたいと思った時に、崇高なコミュニケーションの方法をもたらしてくれた。音楽はぼくがものごとを認識していくための扉となってくれたし、またそれと同時にぼくが常に棲みついている家でもあったんだ』」
また、デヴィッドの旧知の友人であるゲイリーは、彼が闘病に際してもその機転とユーモアを失わなかったことを「デヴィッドは、どんなに辛い局面でも比類ない勇気と品格と優雅さとお得意のユーモアでもって自分の病と向き合っていたことをみなさんにも知っていただきたいです」と説明し、デヴィッドがげっそりと頰がこけてしまった時のことについても次のように振り返っている。
「それでもデヴィッドは『なんか頰骨がせり上がってきちゃってさあ』といっていて、どんなことがあってもおもしろく振る舞っていました。最期まで最高の頰骨の持ち主でした」
さらにゲイリーは次のようにスピーチを締め括った。
「デヴィッド、きみにもやっぱり寿命が尽きることがあったわけだけど、きみの可能性は超人的なもので、きみの素晴らしい音楽は今も生き続けています。みんなきみのことを愛しています、これまでどうもありがとう」
なお、パフォーマンスではデヴィッドの映像のスライドに合わせてバンドによるメドレーが演奏され、最後にロードが"火星の生活"を歌い上げた。