dustbox、会場限定シングル『Farley』とその20年の歩みに寄せて

dustbox、会場限定シングル『Farley』とその20年の歩みに寄せて - 『Farley』『Farley』
今年、結成20周年を迎えるdustbox。その前祝いとして、昨年末からライブ会場限定で4曲入りシングル『Farley』が発売されているのだが、特に表題曲が大きな話題を呼んでいる。ダーティなメロディック・ハードコアとハイパーなポップセンスが行き来し、最後にそれらが重なり合うという、どっちにも振り切った曲調が新鮮なことはもちろん、サビで歌われているのが日本語詞というところが驚きだからだ。

ストレートに言わせてもらうと、彼らは日本語詞を歌うことに対して、トラウマがあったのかと思っていた。2003年にメジャーデビューした際、ほとんどの楽曲を日本語詞にし(当時は彼らに限らず、そういった方向転換をせざるを得ないバンドが多い風潮だったのだ)、それだけが引き金ではないと思うが、結果的に彼らは行き詰まり、インディーズへと回帰する。そういった状況になると、様々な意味で落ち込んでいくバンドが多い中で、彼らは2004年にミニアルバム『triangle』をリリース。これは全曲が英詞で、彼らが本来やりたかったことを、ルーツやスキルをむき出しにして挑んだ1枚で、彼らのディスコグラフィーの中でも傑作として輝き続けている。そこから、彼らが奇跡の快進撃を遂げたことは、ロックシーンに刻むべき偉業だと私は思う。それだけに、彼らにとって英詞は「解放の象徴」や、今に至るまでの不動の地位を築くために必要だった「揺るぎない武器」のように見えてきた。

しかし、彼らはかつて、日本語詞の名曲も生み出していたのだ。メジャーデビューする以前の2002年にリリースされた1stフルアルバム『Sound A Bell Named Hope』収録の“虹”。2行以外はすべて日本語詞で、希望と不安が入り混じる心情が美しい風景になぞらえて描かれている。曲調も、ゆったりとした美しさをたたえながらも、リズムやコーラスが独特で、彼らが突き抜けた才能を持っているバンドであることを認識させられた楽曲だった。
つまり、彼らは、能動的に日本語詞を目指せば、優れた楽曲を生み出せるバンドだったのだ(メジャー期の挑戦的な楽曲も個人的には愛おしいけれども)。とは言え、再び日本語詞に向き合うことはしんどいだろうな、と思っていた。

しかし、時は来た。2016年リリースのミニアルバム『skyrocket』で、日本語詞が登場したのだ。SUGA(Vo・G)は当時の『ROCKIN'ON JAPAN』のインタビューで「なぜか自由な感じになれていて」、「ここは絶対に日本語のほうがいいやって」と話してくれた。時間をかけて、そう考えられるようになったのだと思う。
そして、今回の“Farley”である。《過去破り捨てて run and run》という、あまりにも核心を突く日本語詞。20周年を目前にして、本当の意味で彼らは解放されたのだと思うし、秘めたる武器を手にする決意を固めたのだと思う。3人には大袈裟と言われちゃうかな? でも、彼らは20周年を経て、さらなる飛躍を遂げていくことが、ここで約束されたはずだ。また、日本語詞に関してだけではなく、全国15ヶ所で行った企画「TRAINING DAYS 2018」で披露し鍛え上げてきたことと、猪狩秀平(HEY-SMITH)、菊池信也(OVER ARM THROW)、笠原健太郎(Northern19)、TIGHT RECORDS主宰のF.ANDREWという盟友のコーラスによって、楽曲の物語と力強さが増したというところも、特筆しておきたい。

シングルに関して、他の収録曲も素晴らしい。連続出場している10-FEET主催の「京都大作戦」が、2018年に中止となってしまったことに想いを馳せて制作された、胸が締め付けられるほどスウィートでセンチメンタルな“Summer Again”。なんとフルカワユタカがコーラスで参加して再録された、ライブでは欠かせない“Jupiter”。同じく再録で、クリスマスシーズンにしか演奏されず、プレゼントとして配られたことしかない“Wish”。すべてに意味がある4曲だ。
紆余曲折の道のりを、自らの手で輝かしいものに変えてきた20年。初夏にリリースされる予定というフルアルバムには、そんな今だからこそ書ける言葉、鳴らせる音が詰まっているはずだ。聴ける日が待ち遠しくてたまらない!(高橋美穂)
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