なぜ我々はサカナクション“忘れられないの”MVの80年代に令和を感じるのか?

なぜ我々はサカナクション“忘れられないの”MVの80年代に令和を感じるのか?
サカナクション“忘れられないの”のミュージックビデオが話題だ。サカナクションと数多くタッグを組んできた映像ディレクター・田中裕介とタッグを組んで作られたこのビデオのコンセプトは、一言でいえば「80年代」。ブラウン管TVを模した色味と画質に加工され、ご丁寧にアスペクト比まで4:3で作られた画面の中で、白いソフトスーツを着て杉山清貴風のサングラスをかけた山口一郎(Vo・G)が踊ったり歌ったり。セットは昔の歌番組風で、背景にはヤシの木が揺れる。その背景が青空から摩天楼の空撮映像に変わった瞬間……こらえきれず吹き出してしまった。


そもそも、サカナクションが80年代的なモチーフを採用するのは、これが初めてではない。最初は2015年の“新宝島”。今でこそサカナクションのアンセムとしての地位を確立したこの曲だが、例のミュージックビデオを初めて観たときは衝撃だった。どこからどう見ても『ドリフ大爆笑』のオープニング映像のパロディなのだ。サカナクションの5人が階段を降りてきて、真顔でぎこちなくステップを踏む。それを迎えるのは、これまたどこからどう見てもスクールメイツなダンサーたち。シングルの初回盤には、これとは別のミュージックビデオというかカラオケ映像(撮影指揮は大根仁)が収録されていて、こちらもまた徹底的に「あの頃」を感じさせる演出がなされているから、山口のなかに明確なイメージが存在していたことがわかる。


そして2016年の“多分、風。”。この楽曲は制作中の仮タイトルがどうにもいなたい「渚のアップビート」だったことからもわかるとおり、楽曲の音楽性からジャケットデザイン(パルコやコム デ ギャルソンの広告を手がけたアートディレクター・井上嗣也によるもの)、アーティスト写真にいたるまで、トータルでより明確に「80年代」がコンセプト化されている。ミュージックビデオもその一環で、作中で山口はコム デ ギャルソンのスタッフコートを着用している。コム デ ギャルソンは山口の愛用ブランドのひとつでもあるが、それ以前に80年代のファッションを象徴するブランドでもある。まさに“多分、風。”は80年代の空気そのものをまとい、そのクールな美意識を今に表現しようとしたプロジェクトだったのだといえる。

“新宝島”、“多分、風。”と続いてきた80年代的モチーフが、いわばもっとも極端に、そして徹底的に注ぎ込まれたのが“忘れられないの”のミュージックビデオだ。ビデオだけでなく音楽性も80年代のAORを下敷きにしたものだし、『ミュージックステーション』でこの曲を披露したときも、とことんこだわって80年代の歌番組を再現する演出を施していた。ではなぜ、サカナクションは、山口一郎は、そこまで80年代にこだわり、その空気を今に蘇らせようとし続けてきたのか。


2000年代に、音楽やファッションの分野で80年代のリバイバルが起きた。たとえば“多分、風。”については、そうしたカルチャーを日本でやってみたらおもしろいのではないかという発想から始まった、という趣旨の発言を山口はラジオなどでしていたし、彼はまた、古いものをあえて今提示することで若い世代には新鮮に映るのではないか、ということも言っていた。もちろんこれらの80年代パロディを、そうしたクリエイターとしての時代感覚や戦略性において説明することも可能だし、事実そういう側面もあるのだろうとも思う。だがより踏み込んで考えるならば、ここには最新アルバム『834.194』にまでつながる文脈が存在しているようにみえる。

山口一郎は1980年生まれだ。つまり、リアルタイムとしての80年代をギリギリかすったかかすらないか、という世代である。自分の時代だというには若すぎ、かといって親の世代というほど遠くもない、ちょうどエアポケットのような場所にあったのが彼にとっての「80年代」だったのだといえる。近くて遠い、残り香は覚えているけれども決して自分の居場所ではないカルチャー。既視感と未視感が同居する不思議な存在感。そのありようは、そのままサカナクションというバンドにも重なるものだ。山口がよく言っている「いい違和感」、彼にとっての80年代とはまさにそれを象徴している。さらにいえば、80年代という時代そのものがサカナクション的だったともいえるのだ。アートがちゃんとビジネスとして成り立ち、エッジーなものやマイナーなものがオーバーグラウンドに影響を及ぼしていた時代(井上嗣也の広告も、コム デ ギャルソンの服もそうだ)。それはサカナクションが自らに課している「大義」にも通じる価値観だ。

そして、いうまでもなく、『834.194』はそうしたサカナクションのありかたがそのままアルバム化したような作品である――と考えていくと、そこに収録されている楽曲のミュージックビデオやアートワークにおいて80年代がモチーフとなっていったことも必然に思えてくる。なぜ“忘れられないの”がここまで振り切ったミュージックビデオになったのか。その歌詞がどこかノスタルジックな響きを帯びていることを考えたとき、あのギャグにしか見えない映像が、違った風に見えてくるはずだ。(小川智宏)
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