米津玄師が『news zero』で語った「対岸にいる人」と向き合いポップミュージックを鳴らすこと

9月11日放送の日本テレビ系『news zero』に出演し、インタビューに回答した米津玄師。そこでは、子供たちの間で大流行中でセルフカバーも公開された“パプリカ”、ドラマ『ノーサイド・ゲーム』の主題歌であり最新シングル表題曲の“馬と鹿”、シングル『馬と鹿』のカップリング曲“でしょましょ”に関するエピソードや、彼の人生観などが語られた。

知人から「家の子供が」、「家の甥っ子が」と曲に合わせて小さい子どもが踊っている動画を見せられる機会も増えるなど、米津の想定を超えるほどの広がりを見せている“パプリカ”。「自身の経験を元に楽曲を制作する」というこれまでの方法とは違うやり方をし、かつては興味のなかったスポーツという分野に触れたからこそ生まれた曲、“馬と鹿”。凄惨な事件が起きた時にSNS上で行き交う意見が、その事件と同じくらい凄惨であることについて歌った“でしょましょ”。これらの3曲について語ったインタビューで浮き彫りになったキーワードは「他者」である。

インタビュー中、米津は、自分とは真逆のことを考えている人間を「対岸にいる人」と表現し、その声を一回引き受けられるくらいの余裕を持って生きたいと語っていた。米津は一人のクリエイターであるため、この発言には「元々自身の内側になかったものを取り入れた時、自分がどのようなアウトプットを行うようになるのか、それが気になる」というニュアンスも含まれてはいる。

しかしこれはクリエイターという限られた人種のみならず、私たちにとっても重要な問題で、要は「他者に対してどの程度想像を巡らせられるか」という話なのではないだろうか。たとえ自分には理解できないものや、何か感情的にさせられる出来事にぶつかったとしても、「こんな意見もあるよね」、「こんな見方もあるよね」と気づくことができれば、あるいは一度立ち止まり「今言おうとした言葉ははたして本当に適切だろうか」と考えることができれば、悪辣な言葉を吐く必要性は自然となくなっていくはず。そういう視点が欠如していった結果が、普通に生きることが逆に難しい、今の社会である。

そんなことを語っている今回のシングル、非常に泥臭いなあと改めて思ったのだった。タガが外れかけた異常な世界のど真ん中で、その異常さから目を逸らすことをせず、それでも咲くことのできる美しいものを信じて創作へと向かい続ける。米津玄師とはそういうアーティストなのだ。(蜂須賀ちなみ)
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