Saucy Dogの音楽の言葉を届ける力、そして言葉を超えて届く情景について

Saucy Dogの音楽の言葉を届ける力、そして言葉を超えて届く情景について
この原稿を書いているのは2019年12月半ば。もうすぐ2010年代が終わろうとしている時期だ。日本のバンドシーンの2010年代を思い返してみると、初期は「フェス系」や「四つ打ちブーム」なんて言葉が出てくることが多かったが、後期になればなるほど「歌もの」という言葉が出てくることが増えていったように思う。「歌もの」の定義もあやふやだが、近年この言葉が頻繁に使われるようになった背景には、音楽ジャンルやルーツの継承はもちろん、それ以上にバンドの核心やソングライターの内側にある感情がいかに音楽へ落とし込まれているのかが重要視されていることも影響していると考えている。歌詞、メロディ、ボーカリストの声の3つを必要とする「歌」とは、感情を表現するうえで重要なファクターだ。

Saucy Dogはその「歌もの」という大きく果てしない括りのなかで、重要なバンドのひとつ――というよりは、この言葉を復興させた張本人なのではないだろうか。もちろん四つ打ちブームの裏で歌ものロックを続けてきたバンドは存在していた。だが、彼らが2016年12月にMVを公開したバラード“いつか”は、衝動的な音楽、技巧的な演奏が際立つ楽曲、洒落た雰囲気の楽曲、ハイテンションになれるゴキゲンでやんちゃな音楽を好むリスナーなどにも、歌というものが持つ力の素晴らしさ、バラードだからこそできる繊細で壮大な表現性を再確認させた楽曲だった。



“いつか”に限らず、Saucy Dogの音楽でまず耳に飛び込んでくるのは、ソングライターである石原慎也(Vo・G)の歌声と、それが辿るメロディだろう。どちらも歌詞がなくても泣けてしまうほどの細やかな感傷性を宿しており、重苦しくならない人懐っこさも持ち合わせている。それは狙って出せるものではなく、ただただ自分自身の感情と向き合ったからこそ溢れてしまった、涙のようなものだ。涙は物理的な刺激を除いて、感情の沸点に達したときに零れる。加えて「もらい泣き」という言葉があるように、我々人間は人の涙に感情が突き動かされ、自分のことのように感じることもしばしば。Saucy Dogの音楽に触れている時というのは、ひとりの人間の涙が流れる瞬間を見ているのと同義なのだ。

歌詞に着目すれば、そこに綴られているのはひとりの人間のささやかな日常。目に映った景色の断片と、その瞬間に湧き上がった感情が明快かつ優美に言葉へと昇華されている。ギターの音色は時にひとりごとをつぶやくように、時に泣き叫ぶように、時に鼻歌を歌うように、時に大きな声で呼びかけるように鳴り響く。秋澤和貴(B)のメロディアスなベースは、冬の空から降り注ぐ粉雪や夏の陽炎のように楽曲をロマンチックに色づけ、せとゆいか(Dr・Cho)のドラムには和やかでありながらぶれない意志の強さが通う。どこを覗き込んでも体温や吐息や呼吸音を感じるような、その人間性が色濃く滲んでいるところが、楽曲をより輝かせるのだ。

言葉にすることをやめて飲み込んだ、心のなかに潜む行き場のない感情が音楽へと姿を変えたようなSaucy Dogの音楽は、聴き手の深淵にまで染み渡る。心の奥でつながるということこそ、芸術の、なにより人間の真髄なのかもしれない。(沖さやこ)
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