米津玄師が作った“カイト”と“パプリカ”に共通するラルラリラについて

昨晩の紅白歌合戦で初披露された米津玄師が作詞・作曲、嵐が歌唱する楽曲“カイト”。
多くの人が気づいている通り、《君の夢よ 叶えと願う/溢れ出す ラル ラリ ラ》という印象的なサビ終わりのフレーズに、Foorin“パプリカ”の《手にはいっぱいの 花を抱えて/らるらりら》と同じラルラリラという不思議な言葉が登場する。
これも米津玄師のファンなら気づいた人が多いと思うが米津玄師のアルバム『Bremen』に“あたしはゆうれい”という曲があり、ここにも《らるら らりら/らったるったったるらいら》という、よく似たフレーズがある。
この意味がある歌詞でもなく、かと言ってただの擬音ではなくて、メロディに言語的ニュアンスを乗せながらもラララとかルルルのようにメロディをシンプルに聞かせるだけの言葉でもない、ラルラリラとは一体何なのか。
僕はここ最近、米津玄師が発表した楽曲たちにヒントがあると思っている。
たとえば“海の幽霊”の《大切なことは言葉にならない》や“馬と鹿”の《これが愛じゃなければなんと呼ぶのか/僕は知らなかった》が象徴的なのだが、彼は自分を生かしてきてくれた大切な人々への、言葉では言えない、あえていうなら愛だけれどその言葉ではきっと足りない、自分の音楽の力を総動員して伝えなければならない思いを一つ一つ新たに生み出す楽曲で確かな形を持たせようとしている。
それは自分の作る楽曲と、それを歌うべくして歌う人との出会いとも繋がっていて、その愛に似た言葉にならない思いを歌で共有するために例えばラルラリラみたいに懐かしいような、でも未来に明るく手を伸ばしているようでもある、意味を超えた言葉が力を持つようになっているのだと思う。
令和になって、そして2020年を迎えて、音楽がより音楽らしく力を発揮しながら過去と現在と未来、そして表現の垣根を超えて繋がるような時代を、米津玄師は言葉を超えた言葉を歌に乗せながら作っていこうとているように感じる。(古河晋)
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