アレックス・チルトンが死去

ボックス・トップスやビッグ・スターで活動したアレックス・チルトンが3月17日、亡くなった。

今週末、テキサス州オースティンのサウス・バイ・サウスウエスト・フェスティバルにビッグ・スターとして出演することになっていたチルトンだが、この日、自宅のあるニューオーリンズで体の不調を訴えて病院に搬送され、そのまま亡くなってしまった。死因は現在のところ不明。59歳だった。

先にオースティン入りしていたビッグ・スターのドラマー、ジョディ・スティーヴンスはこの訃報を認めている。「アレックスは数時間前に亡くなったよ。具体的なことはまだいろいろと分からないことがあるけれど、医者たちは心臓発作だったんじゃないかと考えているみたいだね」

メンフィス生まれのアレックス・チルトンは16歳のときにボックス・トップスとしてリリースしたシングル“ザ・レター”が全米チャートで1位を獲得し、一躍音楽シーンに名を馳せた。ボックス・トップスは他にも“クライ・ライク・ア・ベイビー”や“ネオン・レインボウ”などのヒット曲を生んたが、1970年に解散する。

翌年彼はクリス・ベル、アンディ・ハンメル、ジョディ・スティーヴンスとともにビッグ・スターを結成し、1974年の解散までの間に『ナンバー・ワン・レコード』、『レディオ・シティ』、『サード(シスター・ラヴァーズ)』の3枚のアルバムをリリースする。これらのアルバムはいずれもローリング・ストーン誌が2003年に発表した「史上最高のアルバム500枚」に選出されている。

ソロ活動を開始したチルトンは1979年にアルバム『ライク・フライズ・オン・シャーベット』を発表するが、80年代初めにはメンフィスからニューオーリンズに居を移して一時的に音楽活動を休止し、庭木の手入れや皿洗いなどで生計を立てた時期もあった。

80年代半ばになると彼の音楽がR.E.M.やリプレイスメンツなど新世代のバンドから称賛を集めるようになり、1993年にはオリジナル・メンバーのジョディ・スティーヴンスにザ・ポウジーズのジョン・オウアとケン・ストリングフェローを加えた新編成でビッグ・スターを再結成する。その活動は今日まで続いており、昨年<ライノ・レコーズ>からリリースされたボックス・セット『キープ・アン・アイ・オン・ザ・スカイ』を始めとして過去作品のリイシューや関連書籍の刊行も相次いでいた。

「打ちひしがれているよ。僕らはみんなただただ打ちひしがれている」と70年代にビッグ・スターのアルバムをリリースした<アーデント・レコーズ>の創設者、ジョン・フライは話している。「こうした突然の訃報には誰も身構えられるものじゃない。それでもそれは起こってしまうんだ」

70年代にチルトンと同じメンフィスで活動していたシンガー・ソングライターのヴァン・デューレンはこう話している。「ある人々が去ってしまうとき、そのことによって1つの時代が終わったと言われるものだ。今回の場合、それが本当にあてはまるよ」

アレックス・チルトンには妻のローラと息子のティモシーがいた。
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