ビートルズのオリジナル・ドラマーで、デビュー前のハンブルグ巡業にも同行していたピート・ベストだが、その功績を称え、リヴァプール市からその名にちなんだ通りの名前がつけられることになった。また、ピートの母親にちなんだ通りもつけられることになったとか。
今回の措置はピートや母親のモナ・ベストにちなんだ通り名をつけようというフェイスブックでのキャンペーンが1万人越えをして実現することになったが、BBCにピートはこう語っている。
「リヴァプール市とリヴァプール市民のみなさんがこんな素晴らしい形でぼくに栄誉を授けてくれることになって、とても謙虚に思うと当時に、とても嬉しいし、とても光栄に思うよ」
通りはそれぞれにピート・ベスト・ドライヴ、カスバ・クローズと命名される。カスバとは母親モナがかつて経営していたザ・カスバ・クラブという店にちなんでいて、この店はビートルズの活動の出発点となった場所で、その重要性をピートは次のように説明している。
「ザ・カスバ・コーヒー・クラブはリヴァプール一帯のマージー・ビート隆盛の先駆けとなった店で、ここでオリジナル・ビートルズは1959年8月29日に産声を上げたんだね。母はマージー・ビートの生みの親ともなった人なので、こんな栄誉なことを授かることになったんだから、せめて今生きてたらよかったのになあとそう思うよ」
ピートは1962年までビートルズのドラマーを務めていたが、ビートルズがパーラフォンとのレコーディングを準備していく過程でリンゴ・スターと交代させられることになった。現在は自身のザ・ピート・ベスト・バンドを率いている。
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