『天気の子』が、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』以降のアニメが描いてきたものを現代に引き継いでいる理由

『天気の子』が、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』以降のアニメが描いてきたものを現代に引き継いでいる理由 - 『CUT』2019年8月号『CUT』2019年8月号
インターネットの時代が明らかにしたことのひとつに、「自分はマイノリティだ」という疎外感が特別なものではないということがある。
マイノリティであることに悲しみはあっても孤独を感じる必要はない。
同時にマイノリティであることに特権意識を持つことは意味を持たない。
自分と同じようなマイノリティとの繋がりは今の時代において、もはや必然として、明らかにマジョリティのパワーを超える「愛」を伴いながら生まれるからである。

新海誠監督の最新作『天気の子』が公開から約1週間の今の段階では前作『君の名は。』を超える勢いでヒットしているのは、それと関係している。
また、たとえばエド・シーランのような表現者が世界のトップ・アーティストとなり、同時にありとあらゆる世界のトップ・アーティストとコラボレーション楽曲を生み出し、そのどれもがエド・シーランにとっても相手のアーティストにとっても極めて本質的な表現になっているのも、それと関係している。

現在発売中のCUT最新号の新海誠インタビューで、僕は新海監督に「『天気の子』は、ジブリ映画や『AKIRA』以降の数々のアニメが描いてきた自然と科学の対立を今の時代ならではの表現で描いている」と伝え、監督はそれに対して「確かにそういう意味でこの映画はディストピアものかもしれない」と答えている。
人間としての自然な内なる声に正直に生きたいと思う人が疎外される社会はディストピアであり、それはまさに現代の姿だ。
一方でそのディストピアの中で疎外された孤独同士が繋がり生まれる「愛」の物語があり、まさに『天気の子』はそれなのである。
『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』は当時も今も、その作品の力によってとてつもないエネルギーを放っているけれど、それ以降の未来に対する共通するテーマを持つアニメ作品も含めてどちらかと言うとその世界観は暗い。
これから『天気の子』のように、現代をリアルに映したディストピアを、最終的には眩い「愛」で描くような物語や音楽が増え、それが大きな力を僕らにくれるはずだ。(古河晋)
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