宇佐見りん(『推し、燃ゆ』『かか』)という才能の出現について

宇佐見りん(『推し、燃ゆ』『かか』)という才能の出現について
何を絶対的に信じられる「かみさま」として心の拠り所にするかは、これからはより人それぞれになっていく。
人によってそれは、普通に宗教かもしれないし、それこそ「推し」かもしれないし、当然のように勉強や仕事や恋愛かもしれないし、思想や芸術やもっと個人的で一括りにできない何かかもしれない。
いずれにせよ私たちはひとつの「かみさま」の元でひとつになることはできない。
という暗黙の了解は加速度的に当たり前のことになっていて、そこに安心と孤独の両方を感じながらも、お互いの信じるものが違うことを認め合うスキルを上げて、できるだけ平和に暮らしていきたいと私たちは願っている。
そんな今を、大きな変化として感じている世代にとっても、単なる今として捉えている世代にとっても、宇佐見りんの小説は同じように大きな意味を持っている。

人それぞれが信じている自前で見つけた「かみさま」は、いつでもそれぞれの事情によって崩壊する可能性を持っている。
そして拠り所を失くした時に思い出す、自分自身の肉体の重さは誰にとっても平等。
その重さを思い出させてくれるのが宇佐見りんの小説だ。

音楽、漫画、アニメ、ドラマ、映画、国内外問わずさまざまな分野に同じ時代性を感じさせる作品があるけれど、例えばこの自分自身の本当の「肉体の重さ」を世代を超えて伝える、といったことは文学にしかできないと感じた。
そんな今における文学の力を証明した、宇佐見りんの出現の意味は大きい。(古河晋)
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