前回の続きです。
The STRIPPERが解散したあとの、川西さんの話です。
当時、川西幸一、25歳とかそのくらい。足を洗ってカタギになるのも、うなずける年齢。
というわけで、バンドマンをやめて、ちゃんと会社員になったのだった。
しかし。足を洗ってしばらく経った頃、奥田民生がボーカルだったバンド、
READYのドラマーが、バイクでコケて腕を骨折してしまった、でもライブは入っている、
代わりに一回だけ叩いてくれませんか川西さん、と、頼まれた。
引き受けて、久しぶりに、広島ウッディストリートのステージに上がった。
そしたらすっごくよくて、「ダメだ、やっぱりこれはやめられん!」と復帰を決意し、
でもこの年だし、次は絶対にプロになれるバンドじゃないと意味がない、
そういうバンドを作ろう、という考えのもとにメンバーを探し、結成したのが、
ユニコーンである。
というのは、ユニコーン関係の単行本なんかに必ず載っているエピソードなので、
コアなファンはご存知だと思う。
で。その、「民生のバンドで叩く川西幸一」が、実は、私が初めて観た、
「演奏する川西幸一」だったのです。
当時、僕はヘビメタ大好きであり、かつ、なぜか
「楽器というのはちゃんと習わないといけないもの」と
思い込んでおり、市内のヤマハのドラム教室に通っていた。
なので、いいドラムというのは、ツーバスでタムがいっぱいあって、
千手観音のように叩きまくるヘビメタタイプか、
ヤマハの教室で教材になっているような、カシオペアとか
ザ・スクエアとかそういう16ビートでフュージョン系の、
技術的にいろいろ細かいことができるタイプか、そのどっちかしかないと
思っていた。
READYのドラマーは、前者でした。
なので、いつものようにREADYを観に行って、ステージに置かれた、
タムもフロアタムも1コだけのドラムセットに、まず、がっかりした。
いつものドラマーの半分以下の数のタイコしかないじゃん。
これであの曲叩けるの?
とか思った。
ライブが始まった。
ものすごいショックだった。
かっこよすぎる。なんじゃこれは。ドラムってこういう楽器だったのか。
目からも耳からも、ウロコがボロボロ落ちた。
その日から、僕の中で国内ドラマー第1位は、川西幸一になった。
で、もうとにかく、セットからフィルから何から、
それこそ衣裳まで、真似をしまくった。
川西さん26歳、私17歳で高校2年の頃の話です。
大人になり、音楽業界に入ったりして、その後、すばらしい
ドラマーをいっぱい知ったけど、いまだにその自分の中の
第1位の座が誰かに代わっていないのは、その時の刷り込みが、
すごくでかかったからだと思う。
あと、どんなバンドでも、ライブを観る時に、ドラムが一番
気になるくせが、僕にはあるんだけど、それも川西さんの
刷り込みだと思う。
ソロの1stアルバムを出した時、ジャパンのインタビューで
ユニコーンの解散理由をきかれた奥田民生が、
「川西さんの脱退がでかかった。あれで、僕の好きなノリの
ドラムがなくなってしまった」
というようなことを言っていて、すごく納得した記憶があります。
写真は、そんな人が歌っている、でもドラムは叩いていない、
ユニコーンの最新シングル。
「チョットオンチー」大阪城ホール、10月19日(月)と20日(火)です。