星野源「くだらないの中に」の話

星野源「くだらないの中に」の話

3月2日にリリースされた、星野源の5曲入りシングル
「くだらないの中に」の表題曲、「くだらないの中に」の話です。


この曲、1コーラスめに、

魔法がないと不便だよな マンガみたいに

という歌詞がある。
で、2コーラスめの同じ箇所は、

希望がないと不便だよな マンガみたいに

です。

「魔法がないと」「希望がないと」のあとにくる言葉、普通なら、
「さみしいよな」とか、「悲しいよな」とか、「やりきれないよな」とかでしょう。
それだと、別におかしなことは言ってないけど、ありきたりだし、
普通だし、「いや、そりゃそうだけど」って話です。
そこで「不便だよな」という言葉を持ってくるところに、大変に、才能を感じます。

で。「魔法」と「希望」を並列にして歌っている、というのは
どういうことかというと、この歌を書いた人は、「希望」を、
「魔法」と同じようなものだと思っている、ということですよね。
つまり、「魔法」と同レベルで位置づけられるくらい、
「実際にはないもの」だったり、「現実には起きないこと」だったり、
「この手には持ち得ないもの」だったりするのが、希望。
ということになります。

でも、それをもうひとつひっくり返すと、「希望」を、
「魔法」と同じくらい、「万能なもの」「不可能がないもの」
「人智を超えたもの」として、この人は捉えている。
というふうにも受け取れます。

そして、そういうものであるにもかかわらず、「魔法」とか「希望」というものを、
「ないと死んじゃう」とかじゃなくて、「ないと不便だよな」くらいに軽く扱う感じに、
この作者の、なんというか、意志が見える。とも思えます。

ただし。この曲の歌いだし、
「髪の毛の匂いを嗅ぎあって くさいなあってふざけあったり 
くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる」
なんですが、ここで歌われている「愛」って、きっと、
その「魔法」や「希望」に近いニュアンスの言葉ですよね。
ということは、そういう、日常のくだらない瞬間が、
「愛」だったり「魔法」だったり「希望」だったりする。
というふうな解釈もできるが、うーん、この解釈は、
ちょっときれいにまとまりすぎてて、いまいちだ。


CDで、ライブで、この曲を聴くたびに、ここの歌詞んとこが特に
強烈に耳にひっかかって、頭の中をいろんな考えがぐるぐる回る。
こないだの4月4日の渋谷パルコ劇場でも、そうなった。
なので、そのぐるぐる回っていることを、いっぺん全部文字にしてみるのはどうか。
と思って、書いてみました。
全部じゃなくて、半分くらいしか言葉にできませんでしたが。
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