今日は、本人によるイラストを使用したApple Musicの新たな広告キャンペーンがスタートした。『STRAY SHEEP』とともに彼のリリース作品がすべてがストリーミング配信され、より多くの人に届いたことも、今年の嬉しいトピックだった。
“カナリヤ”のMVを監督した是枝裕和との対談が先日公開され話題となったが、この曲が新型コロナウイルスによる未曾有の出来事に深く関わっていることは、JAPAN9月号の表紙インタビューでも語られていた。
是枝監督との対談の中で米津玄師は、“カナリヤ”を作ったあとに果たして本当にこれでよかったのだろうか?という気持ちが残っていたが、映像を見て肯定してもらえた気がした、と語り、一方監督は、この曲を聴いた時に肯定されているような、ふっと上を向きたくなる気がしたと応えている。
コロナによって機能不全となった社会の中で、あるいは同監督の映画『誰も知らない』(この作品もまた“カナリヤ”が生まれるきっかけとなったそう)で描かれたうまく機能しなくなった家庭の中で、人が個としてできる最も有効なことは、目の前の誰かや何かを肯定することなのかもしれないと話を聞きながら思った。
ふたりのように大きな才能を持った表現者は、とても沢山の人をいっぺんに肯定できるのが素晴らしいが、米津の場合、それは人間だけにとどまらない。
JAPANで2013~2015年に連載され、一冊の本となった『かいじゅうずかん』。ここには、うまく機能していないどころか、いびつで、滑稽で、悲しくて、だからこそ唯一無二でいとおしい41体のかいじゅうたちが、ユーモラスに、愛情深く描かれている。
彼が人を受け容れようとするエネルギーが、ものすごくデフォルメされた形で、このかいじゅうたちに注ぎ込まれていることが、生き生きした生態描写からわかるだろう。そしてまた不思議なことに、この一見不条理に見える生き物たちは、2020年になぜかより身近に感じられるのだ。
この本のために書き下ろされ、CD封入された名曲“love”も、『STRAY SHEEP』を体験したあとに聴くと、また違った印象を受ける。
歌詞の引用は避けるが、海に放った(言葉にならない)声や叫びが、時を超えて“海の幽霊”の世界に立ち現れたような、“カナリヤ”という答えにつながっていくような、救いを感じた。
映画『インターステラー』で描かれていた、ポルターガイストと相対性理論のような――と言えば観た人にはわかってもらえるかも(ネタバレなので説明は避けます)。
人を赦す、というか受け容れる?ってことは、ものすごく大事なことだなって、歳を重ねるにつれてそれはどんどんどんどん大きくなってくる
変化を許容する。それこそが絶えず美しく、これから先何十年も生きていくためには、いちばん重要なことであって。美しく真摯な生き方なんじゃないかなと思いますね (『ROCKIN’ON JAPA』2020年9月号インタビューより)
《さよならだけが僕らの愛だ》(“vivi”)と関係性の劣化を拒み、言葉にすると嘘くさくなるから形にできないと歌っていた、自分自身に一点の汚れも曇りも許さないありようが、“カナリヤ”で変化することを肯定し、迷いながらもひとつの答えを出したことは、表現者としてとても大きな転換点だ。俯瞰した、どこか客観的な視点で描かれてはいるけれど、一人称小説的な世界はそのままなのがリアルですごい。
そうした変化の理由は、2020年の社会状況だけではないことは、インタビューでの下記の言葉からもわかる。ある意味ではもっともドキドキする瞬間で、もう、この先が楽しみでたまらなくなる。
いわゆるジュブナイル文学、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』とか、『車輪の下』とかを最近読み返す機会があったんですけど、(中略)主人公より、その周りにいる大人に感情移入してしまうようになってる。
そういう時期は自分はもう通り過ぎた、そのうえで、また新しいものが待っている、それに思いを馳せなければならない
『STRAY SHEEP』をより深く多角的に楽しむために、JAPANの表紙巻頭時のインタビューもぜひ一緒に読み返してみてください。
そして、読めば読むほど好きになる『かいじゅうずかん』は、クリスマスのプレゼントにもぴったりです。
ストリーミングでは聴くことのできない秘宝のような名曲“love”も、まだの方は絶対に聴いてほしい。(井上貴子)
●JAPAN2020年9月号は以下にて販売中。もちろん書店でもお取り寄せできます。
●『かいじゅうずかん』のお求めはこちら。
『復刻版』は残り僅かとなっておりますが、米津玄師ONLINE STORE、rockin'on storeで購入できます。