その時に僕は記事の冒頭にこう書いた。
「間違いなく10年に一度の才能を持ったとんでもないアーティストである。米津玄師は音楽シーンを一気に進化させ、変えてしまう力量を持つアーティストだ。このデビューアルバム『diorama』から、日本の音楽シーンは新しい時代を迎えることになる。」
ここまで断定的なことを書くことはそれこそ10年に1度ぐらいしかないが、文はさらにこう続く。
「もちろんこうしたことを断言してそれが活字として残ることのリスクは十分に認識している。だが、僕が今この文を書いていて気掛かりなのはむしろ『10年に一度』ではなくて『それ以上』の存在なのではないか、というほうの心配だ。」
嬉しいことに、その心配は見事に的中した。
シングルごと、アルバムごとに米津玄師の評価は高まり、6年後には記録的なシングル“Lemon”、そして子どもたちに広く浸透した“パプリカ”を経て、紅白出場や嵐への楽曲提供も経て、あれから8年半後の今夏、アルバム『STRAY SHEEP』をリリースして前代未聞のスケールのアーティストへとレベルアップしようとしている。
明らかに、10年に一度どころではなかった。
ここでちょっと米津玄師の道程を振り返ってみる。
実は、8年前、デビューアルバム『diorama』を作り終えた時点で、米津は「もうなんにもやることがなくなっちゃった」と感じたと言っていた。
自分のすべてを1枚のアルバムに表現し切ったのである。
まだ21歳の時である。
なんという早熟ぶり、そしてなんという才気であろうか。
その後、米津は「普遍的なものを作って世の中とつながっていかないことには道はない」という結論に至って、「自分」から「普遍」へと向かう。
音作りも自分一人の作業から、共同作業へと向かった。
ポップへと向かったのだ。
当時の心境をこう語っている。
「次を見越した上で作るんであれば、もう道はひとつしかないっていうか、よりポップにっていう。だからそこに迷いとか葛藤はもう全然なかった」
そうやってポップへと、普遍性へと向かっていった末に、“Lemon”が生まれた。
YouTube再生回数は5億回を超える、究極のポップへと到達したのだ。
ところが、そこで米津は新たな迷いと混乱に直面した。
「(“Lemon”が)自分でも思ってもみなかったような大きなものになって。で、それに対する混乱っていうものも自分の中に確かにあった」
そんな心境を抱えながら米津玄師は今回のアルバムの制作に取り掛かった。
そして、そこで世界はコロナ禍の大混乱へと突入する。
自分も混乱しているし、世界も混乱している。
自分も迷っているし、世界中の誰もが迷っている。
だが、そんな二重の混乱と迷いの中だからこそ、米津は作るべきアルバムの本質が見えた。
世界は混乱していて、すべての人は迷っている、つまり混乱こそが普遍であり、人はSTRAY SHEEPなのだと。
羊の頭蓋骨を被った人物がうつむいているジャケットで『STRAY SHEEP』というタイトルで、史上最大再生回数の“Lemon”や子どもたちがみんな歌う“パプリカ”や、虐げられてる人との距離を歌った歌や十代の自分への応援歌や…すべての歌が混沌の中で輝くこのアルバムこそが、今の米津玄師がたどり着いた普遍なのだ。
そして、『STRAY SHEEP』は、今僕らが最も聴くべき、美しいポップアルバムなのである。(山崎洋一郎)
(ロッキング・オン・ジャパン最新号、『激刊!山崎』より)
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