SPYAIR@O-EASTを観て思ったこと

SPYAIR@O-EASTを観て思ったこと

素晴らしいライヴだった。
今バンドがやらなければならないことをまっすぐに、疑いなくやる。
その使命感と情熱が伝わってくる。
そういった健全な状態にいるバンドは例外なく素晴らしいライヴをやる。

先週発売したアルバムがオリコン初登場2位という結果を受けてのライヴだったこともあり、オーディエンスの期待感はハンパじゃないものがあった。
そのハードルは、いかにホーム状態とはいえ、決して低いものではなかったはずだ。
しかし、彼らはその熱くストレートな期待から逃げずに、真っ正面からぶつかっていくことで勝っていく。
ひとつひとつの熱い期待に対して、それを上回る熱量で応えていく。
そのコミュニケーションはガチンコのぶつかり合いという意味においてとても派手でアッパーだが、彼らがライヴハウスでやっていること自体は恐ろしく地道で、誠実な作業だ。
その作業を何度も何度も、それこそオーディエンスの数だけ繰り返すことができる情熱こそ、今オリコン2位を記録するアルバムを作ることができるSPYAIRというバンドの「根拠」なのだと思った。

欲しいもの、渡したいもの、共有したいもの、共有させてほしいもの。
彼らのライヴはそれだけでピュアに成り立っているライヴだ。
それを即物的なコミュニケーションと呼ぶこともできるだろう。
だが、そこにこだわると今起こっているリアルが目の前ですり抜けていく。
このフィジカルなライヴは、「楽しいね」という言葉で意味として交感するより、楽しい空気自体を共有するほうがよりリアルに「楽しい」を分かり合える、という真理に似ている。
つまり、言葉の意味以上のコミュニケーションがある。
その意味において、今、「等身大の音楽」とはこのことを言うのかもしれない。
彼らは、オーディエンスに「ライヴで一緒に遊ぼうぜ」という言い方をするが、それはとても象徴的な表現だと思う。

「何を言うか」よりも、「どんな時間を共有するか」に賭ける正義もある。
それを教えられた思いがした。
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