8月23日はリバー・フェニックスの50歳の誕生日だった。
それを祝して、友人だったフリーや、マイケル・スタイプが追悼のコメントを発表している。
フリーは、『マイ・プライベート・アイダホ』でも共演しているが、「いつも愛してるよリバー。俺のほうが年上だったけど、君はいつでも俺の先生だった。ワイルドでクリエイティブなお前に、誕生日おめでとう!」とコメントした。
マイケルは、彼が撮った写真も公開。
リバーは生前、妹のレインとAleka's Atticというバンドをやっていた。これが公式映像のひとつ。
今回リバーの50歳の誕生日を記念して、未発表曲だった“Alone U Elope"が初公開されることになった。これとあわせて、“2X4”も公開される。この2曲で、フリーはべースを弾いている。
また、リバーと仲の良かったダーモット・マローニーもチェロで参加。リバーは1993年のハロウィンである10月31日に亡くなってしまったが、この曲は、同じ年の始めにレコーディングされたものだ。
Spotify, Apple Musicなどで聴ける。
https://ingroov.es/alone-u-elope
Soundcloud はこちら。
“Alone U Elope"
https://soundcloud.com/alekasattic-music/alone-u-elope
“2X4”
https://soundcloud.com/launchleft/alekas-attic-2x4
またリバーの50歳を祝い、この曲の限定アナログ盤やTシャツなども発売される。現在予約受付中だ。
https://launchleft.shop.redstarmerch.com/store
フリーは、今回ベースを弾いたことについて、Flood Magazineにコメントしている。
https://floodmagazine.com/80338/rain-phoenix-michael-stipe-flea-remember-river-phoenix/
「俺はいつも彼とジャムしたり、話したりしていたから今回ベースを弾くのもすごく自然なことに思えた。だけど、家のガレージでベースのレコーディングをする時に、真っ暗な場所で静かに1人で彼の声を聴いていたら、とにかく感情が溢れ出て来てしまって、すべての思い出が蘇ってしまった。それにすごく影響されたし、そうやってあの当時の思いを再び味わえて良かったと思う」
ちなみに、フリーは80年代に初めてリバーと会ったそうだが、その時の印象は良いものではなかったようで、こう話している。
「俺はロッカーで、彼はヒッピーだった。俺はヒッピーが好きじゃなかったんだ。それはバカげていて、実際彼とつるむようになったら、すぐに仲の良い友達になった。すごく美しい関係になったんだ」
さらにその後1991年に『マイ・プライベート・アイダホ』で共演することになった時は、フリーのほうが演技の経験がなかったため、リバーはそれをすぐに察して、気持ちを落ち着けるように助けてくれたという。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、『ワン・ホット・ミニット』の"Transcending"をリバーに捧げている。
さらに、「リバーはより大きな観点から、深くスピリチュアルな方法で見ることができる人だった。当時の俺にはそれはできなかったんだ。ムカつく奴がいると俺は、『あんな奴クソだ』ってすぐに言ってしまったんだけど、リバーは、『いやちょっと待て。彼自身にも大きな痛みがある。なぜあんな風に行動するのか考えてみよう』と言うような人だった。そのおかげで俺ももっと大きな視点で物事が見られるようになった」とも話していた。
マイケル・スタイプが撮ったブレイズ・ヘアのリバーの写真が今回発売される限定版アナログのジャケットに使われている。
これは、マイケルとレインと友達で、ナタリー・マーチャントのライブを観るために車でナッシュビルからアセンズまでロードトリップした時に撮影されたもの。すごく暑かったのに、リバーの髪が長かったのでブレイズにしたのだという。
リバーとの関係については、「これまで人生で出会った人の中で会った瞬間に『ああ、この人とは一生の友人になる、絶対』と思える人って数えるくらいしかいない。リバーと会った時はまさにそんな風だったんだ。クリエイティブな面においても尊敬し合っていたけど、でもそれを超えたところで、輝くものがあったし、温かさがあったし、仲良くできた。それに地球環境、菜食主義としての活動なども、共通点がたくさんあった。それをいかに自分達の公の立場としての基盤を使って広めていくのかについてもね」と。
マイケルはレインとともにリバーに捧げた"Time is the Killer"を去年発表している。
レインは、リバーが今もし生きていたら、2020年の世界が今正に直面している問題を解決するために頑張っていただろうと言っている。
「彼は80年代にまだそれが当たり前ではない頃から、地球温暖化、人種差別問題、動物の保護について活動してきた人だから。その先駆者だった。自分の立場を問題解決のために喜んで使っていたと思う。母がいつも言っていたのは、リバーは問題を指摘するだけではなくて、いかに解決するのか考える人だった」と。さらに「彼にとっては映画がヒットすることは最も大事なことではなかった。彼の魂にとっての、国にとっての、世界にとっての真実を尊重することが一番大事なことだった」
このポストの2枚目にリバーが演奏する映像が投稿されているが、そこで歌っている歌詞"run to the resucue with love and peace will follow"を『ジョーカー』で今年オスカーを授賞したホアキン・フェニックスが最後に引用していた。「彼が17歳の時に書いた歌詞。愛とともに救済に走れば、必ず平和が訪れる」と言って感極まっていたのが感動的だった。
https://www.youtube.com/watch?v=WYj8Zzz8g2s