必見、日本では来週から開催のポール・マッカートニー写真展。NYで一足先に見た。サー・ポールが語っていたことをご紹介。

@brooklynmuseum instagram

日本では来週7月19日から開催されるポール・マッカートニー写真展が、一足先にNYのブルックリン美術館で開催中だ。

『Paul McCartney Photographs 1963-64 Eyes of the Storm』と題された写真展で、ブルックリン美術館では5月3日から開始した。オープニングで見て来たのだけど、これがあまりに素晴らしいので、日本のみなさんも一刻も早く行って欲しい。
https://www.eyesofthestorm.jp/
7月19日〜9月24日:東京シティビュー(六本木ヒルズ森タワー52階)にて。
10月12日〜2025年1月5日:グランフロント大阪 北館にて。

この写真展が特別なのは、ビートルズが初めてアメリカに来て大旋風を起こし、頂点に上り詰めるその瞬間の3ヶ月間、1963年12月〜1964年2月にポール自身が見ていたもの、彼がペンタックス(会場にカメラも展示)で撮影したパーソナルな写真が約250点も展示されるということ。行けば分かるけど、かなりの見応えだ。

しかも、この60年前に撮られた写真は、2020年に別のプロジェクトで倉庫を整理していた際に発見されたもの。ポール自身は紛失したと思っていて、つまりこれまで世界で誰も見たことがなかった写真なのだ。まず、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーで去年6月1日〜10月1日に開催され、現在世界を巡回している。

「何百万人もの人達が、急に僕らに注目した。その最中に、僕は絶対に忘れないような写真を撮った」。

この写真展の何が感動的かと言うと、恐らく音楽史の中でも最も重要な瞬間を、ポールにしか見えていなかった視点で捉えられていて、それがあまりにピュアで尊いものに感じられること。しかもその写真が60年間も眠っていたわけだし。

(C)1963 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP

ポールはこの写真展に関して、見た人に「この時期ならではの僕らの、喜び、イノセンス、驚きなどを感じてくれたら嬉しい。それから良い写真が撮れてると思ってくれたら嬉しいな」と語っている。

写真展は、彼らが旅した順番に並べられている。当時の4人のみならず、ファンが追いかける様子なども写されている。以下大まかな流れ。

1)1963年リバプール、ロンドン
(C)1963 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP
(C)1963 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP

2)1964年パリ
(C)1964 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP
(C)1964 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP
(C)1964 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP
DANY PEREZ/BROOKLYN MUSEUM

3)1964年ロンドンからニューヨークへ

4)1964年ニューヨーク
pic by AKEMI NAKAMURA
DANY PEREZ/BROOKLYN MUSEUM
(C)1964 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP
(C)1964 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP
(C)1964 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP

5)1964年ワシントンDC
(C)1964 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP

「いくつかお気に入りの写真があるんだけど、これはその1枚なんだ。この女の子には、どこかすごく安らかな感じがあるよね。すごい良い気があるように思うんだ。ヘッドスカーフも素敵だしね。彼女の反応が好きなんだ。

それからこの写真(マイアミ警察の写真)。イギリスでは警察が銃を持っているのは見ないからね。だから車から見て、すぐに目がいって撮ったんだ」

6)1964年マイアミ

「マイアミの写真は、大半が休暇中のものだ。だからザ・ビートルズが、プールサイドでリラックスしている、パーソナルな面を見ることができると思う。それは、旅の中でも、メディアもファンも目にしていない部分だよ」

「60年間見てなかった写真だけど、35ミリで撮ったものを今はこんなに拡大できるから、見てみたら、なんとチンパンジーが写ってることに気が付いた」

「(マイアミの写真は)ここでカラーになるんだ。NYでエド・サリバン・ショーを終えて、とうとうマイアミで休暇がもらえた。だからみんなで泳いで、プールでのんびりしてる。
これがまた僕のお気に入りの写真の1枚なんだけど、ジョージが人生を謳歌しているところ。
もしリバプールにいる若い時に、いつの日か、
マイアミのプールサイドで、日焼けして、黄色ビキニの女の子と一緒に、お酒、多分スコッチとコーク、を飲む日が来るよ、なんて
言ったら、ジョージは、絶対に大喜びしていたと思うんだ」

(C)1964 PAUL McCARTNEY under exclusive license to MPL ARCHIVE LLP
DANY PEREZ/BROOKLYN MUSEUM

以下、アメリカのCBSテレビがロンドンのギャラリーで行ったインタビュー。

内容の要約。

「最高だったのは、写真はもう紛失したと思っていたこと」

「パリにいた時にテレグラムを受け取ったんだ。『おめでとう! 米チャートで1位だよ』ってね」

アメリカには1位になるまで行かないと言っていたことについて。

「そんなこと言うなんて、かなり勇気のあることだと思う。だけど、(イギリスの)大スターが『アメリカで有名になるんだ』、と行っても帰って来て、有名になってない例をいくつも見ていた。だからアメリカに行って帰って来て、敗北してガッカリしたくなかったんだよね」

アメリカでリラックスしているように見えることについて。

「僕らはリバプール出身のキッズで、なんとか(アメリカで)有名になりたいと思ってる。それって簡単じゃない。でも僕らはアメリカでスターになって、みんなに愛されたわけだからね。みんなすごく嬉しかった。1位になってから行ったのが秘訣だったと思う。だって、アメリカに着いてジャーナリストに、『ヘイ、ビートル、なんでアメリカに来たんだ?』って聞かれても、『僕らは、あなた達の国で1位になったんです』って答えられたわけだからね(笑)」

NYに着いてからはホテルから出られなくて、ルームサービスを取るしかなかったことについて。

「ルームサービスなんて食べたこともなかったからね。それさえも楽しかったよ」

NYからワシントンDCへは電車で移動。写真は電車から撮ったもの。

「駅で働く男性の写真が好きなんだよね。自分の街にも同じような人がいるからね」

マイアミでみんながクールな白いシャツを着ていることについて。

「普通ホテルってローブしか置いてないけど、このマイアミのホテルでは、クールなシャツが置いてあったんだよね。それから帽子までね」

60年後に見て覚えていたか。

「だいたい覚えていたよ。あまりに忘れらない思い出深い瞬間ばかりだったからね」

「僕にとっては、これはアメリカの歴史の一部であり、僕の歴史でもあり、ザ・ビートルズの歴史の始まりである、と思ってる。だから、この写真を再発見できて本当に最高だった」

ザ・ビートルズは、1964年2月終わりにイギリスに帰国。4月までには、米チャートのトップ5を占拠した。



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