『ザ・マスター』を観た!!!!!!! 予想していたような作品ではなかったけど、間違いなく大傑作だった!!!!!! トロント映画祭その9

『ザ・マスター』を観た!!!!!!!  予想していたような作品ではなかったけど、間違いなく大傑作だった!!!!!! トロント映画祭その9

ポール・トーマス・アンダーソンの新作『ザ・マスター』を観た。観終わったあと、しばらく呆然としてしまう作品だった。今一体何を観てしまったのかと心が奪われて、即座に何と反応していいのか分からない作品だった。

『ザ・マスター』はこれまで何度も繰り返し観てきた何本もの予告編から想像していたような内容とは全然違っていたが、しかし、その期待と予想を遥かに上回る大傑作! サイエントロジー、またはカルト宗教が、描かれているということで早くから話題になっていたわけだが、実際は、そんなことはちっぽけな入り口でしかなくて、ここで彼が描きたい本当のテーマを描くために都合が良かったので借りた枠組み、でしかなかった。

本当はじっくりと書きたいのだけど、まだ上手く書けそうにないので、とりあえず短いレビューを書くと、そもそも、分かりやすい起承転結で物語は進んでいかない。思想の固まりのようなものが乱暴とすら言える方法でどんどん飛んでくるような展開。それにまず観客は揺さぶりをかけられ、面食らうかもしれない。

映画と観客の頭が常に会話を交わし続けるような、映画の問いかけに常に頭が答えを捜すような、そんな作品なのである。それで書きやすいことだけ先に書くと、まず、ホワキン・フェニックスが演じる狂気と危うさが鬼のように激しく凄まじい。それと対局にあるフィリップ・シーモア・ホフマンはそれを絶妙なニュアンスの演技で受け取るのでこれが凄い。このふたりのかけひきこそ、物語に展開する、言ってみれば、信念と裏切り、魅惑と愚かさ、心の受けたダメージから果たして僕らはどのように救済されるのか、またはされないのか、という心のトリックをも象徴しているようなのだ。

彼らの演技力には、現代の演技の最高峰をここで目撃してしまったとすら思った。とりわけホワキンは、予告編を観た時から思っていたけど、本編を観て確信。絶対にオスカーをあげるべきだ。というかこの映画の何もかもが現代の映画の最高峰の1本と言える完成度なのである。それをポール・トーマス・アンダーソンは、映画という媒体の持つ要素、役者、カメラワーク、音楽など、そのひとつひとつの掟を激しく書き換え、再構築することによって、行なってしまっている。つまり『ザ・マスター』は、映画史を書き換える傑作ですらあると言えると思うのだ。

彼は同じカメラマンとずっと仕事してきたが、今回初めて起用したカメラマン、ミハイ・マライメア・Jr.の映像は鮮烈だし、ジョニー・グリーンウッドのサントラも再び最高。それこそ、頭の中をかき回す効果が最大なのである。しかし、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の時のように前面にサウンドが出ているわけではなくて、むしろ静かに繰り返されているのだけど、圧倒的にどこか奇妙で、催眠術的な効果があって、何かにずっと取り憑かれているようなそんな気分にさせられるのだ。監督にジョニーについても訊いてみたので、それも公開時に『Cut』でご紹介できるのではと。お楽しみに!!!!!!!!!!! イマイチ上手く説明できていないけど、間違いなく私のトロント映画祭のハイライトであった。映画とは何たるかを激しく訴えかけてくる大傑作だった。

日本でいつ公開するのかは調べてみたけど、分かりませんでした。すいません。でも間違いなく公開されますので。
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