ライヴアルバム『円環 -ENCORE-』を聴いて考える、Nothing's Carved In Stoneとは何か

ライヴアルバム『円環 -ENCORE-』を聴いて考える、Nothing's Carved In Stoneとは何か
先週リリースとなった、Nothing's Carved In Stoneのライヴアルバム『円環 -ENCORE-』。今年の渋谷クアトロでの3ヶ月連続企画の音源からファンリクエストによる選曲された、その意味ではある種ベスト盤的な意味合いももったこの作品を聴きながら、改めて、Nothing's Carved In Stoneという特異な、しかし誰よりもロックの爆発力と熱感に忠実なバンドのことを考えた。

ナッシングスのライヴを観ていると、硬い鉄の塊を熱して、ハンマーで叩いて形を作っていくようなイメージが浮かぶ。ギターのリフのひとつひとつが、ドラムの一発一発、ベースの一音一音が、ロックというでっかくて硬い塊を叩き、削り、ナッシングスという形を作っていく。

その感覚が、このライヴアルバムには驚くほど生々しく記録されている。すべての音が何かでっかいものと果たし合いをしているような、ストイックで熱い風景。もちろんテンションは高いし、ライヴハウスの熱気もしっかり封じ込められているのだが、同時に常に冷静な何かが、アルバム全編を貫いている。それはロックに対する「畏怖」のようなものではないか。

彼らは百戦錬磨のプレイヤーたちだからこそロックの「大きさ」を知っている。だから、その「大きさ」に対するシリアスで真摯な態度は決して崩さない。ナッシングスにとってロックとは乗りこなすものでも遊ぶものでもなく、常に「挑む」もの、もっといえば「立ち向かう」ものなのだと、このライヴアルバムを聴いていると思う。そして、だからこそ僕はナッシングスを信頼しているのだなと思う。

どんなに踊れるアッパーな曲でも、エモーションがほとばしる曲でも、ナッシングスはロックという巨大なものと向き合っている感覚を忘れない。その感覚が、エゴと衝動をコントロールしている。だから彼らのライヴはいつでもこのクオリティを維持できるのだ。このアルバムで鳴っているのも、クアトロレベルの音ではない。

そんな中で、ヴォーカルの村松拓だけが、己の腕を信じて突っ走る。孫悟空風に言えば「オラわくわくすっぞ!」、ルフィ風に言えば「海賊王に、俺はなる!」、その無鉄砲なヤンチャさが、ナッシングスのエンジンになっている。このアルバムには、曲に入る直前の客を煽る一言(「いけるかー!」とか「渋谷ー!」とか「この夜を待っていた!」とか)が、MCはカットされているにもかかわらずやたらと収録されていて、なんでなんだろうと思っていたのだが、改めて考えるとそこに彼のすべてがあるのだ。

ロックとのストイックな格闘がナッシングスのひとつの本質だとして、その本質をドライヴさせ、前へと転がしていく村松拓a.k.a.たっきゅんのそのエモーションもまた、彼らの本質である。逆にいえば、ナッシングスというバンドがこれだけハイクオリティでシリアスだからこそ、彼は腕っ節ひとつで突っ込んでいくことができる。冷静なようで熱く、迸っているようで落ち着いている。ナッシングスはそんな両極端の本質を回転させながら、自分たちを更新し、ロックに闘いを挑み続けるのだ。
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